弔事

本日はご多用の中、葬儀に参列賜りましたこと心より御礼申し上げます。

さて、息子の私がこのような形式張った挨拶をすることに、母は笑っているかもしれません。生前の母の人柄をご存知の方であれば、想像にかたくないと思います。少しばかり、厳かな式にはそぐわない砕けたご挨拶となるかもしれませんが、ご容赦ください。
母は先日、穏やかに息を引き取りました。私はこれまで長く母の顔を見て来れずにおりました。訃報を受け、対面した母は、記憶の中よりもやや痩せて、静かに眠っておりました。静かに眠る、というのはよく聞く言い回しですが、考えてみれば些か妙な表現です。煩く眠るということがないのですから。しかしながら、母の鼾が聞こえないというのも、妙な感じがしたために、私は母の頬に手を触れて、確かに温度がないことを実感しました。それが、静かに眠るということだと、思いました。
母は生前、カメラや眼鏡のレンズを作る工場へ長年勤めておりました。熱を持ったガラスを薬品にまぶしながらラインに載せる作業をしていたため、指先はいつも荒れていました。冬場にはあかぎれを起こしながら、家事をこなしていました。
小さな頃の私は手の掛かる子供でした。小学生くらいの頃、どうしても学校に行きたくない日がありました。お腹が痛いだのといってはトイレに篭り、熱があるかもと言っては体温を測り、なんでもないと母にばれると玄関先で地蔵になりました。母は車で私を学校に届けようとしますが、私はてこでも動きませんでした。「置いていってしまうよ、家に一人ぼっちにしてしまうよ」と母は言いました。実のところ、私は家に一人で留守番するのも怖かったのです。母が一緒に仕事を休んでくれることを期待していたのでした。母が玄関を出ていってしまったので、「置いてかないで」と、私は泣きそうになりながら、母の後を追って外に飛び出しました。
そのことを今日になり思い出すのは、きっと私が置いていかれてしまったような気持ちでいるからなのでしょう。小さい子どものような思いは、この歳になってもあるものです。しかしながら、母はたくさんのものを残してくれています。お母さん、ありがとう。寂しい思いも含めて、私の大切な荷物です。

故人に代わり、皆様より生前のお付き合いにご厚情いただきましたこと、感謝申し上げ、弔事と代えさせていただきます。本日は、誠にありがとうございます。