寂しさの魔法

12月27日未明、川崎駅前の銀柳街の一角にあるラーメン屋で、僕はどうやら中華系マッサージのキャッチをしていた妙齢の女性に一杯奢ることになったらしい。寒い寒いお兄さんお店に来てよとしつこいので、「そんならラーメンでも食べてきますか」と冗談で誘ったら本当について来られて困った。券売機に千円札を入れようとしたら、なかなか入らない。針の穴に糸を通すみたいな感覚だった。前後不覚一歩手前くらいには酔っ払っていた。仕方ないので、お姉さんこれ入れてよとお札を渡した。その後も似たような話を3回繰り返した。
明けて目覚めると、とうに昼を過ぎていた。二日酔いで朦朧としながら街を歩いた。夜を明かさせるやんごとなき事情を、僕は金曜日の悪魔と呼ぶことに決めている。金曜日の悪魔に出会ってしまったら、次の日には土曜日のゾンビになる。覚束ない足取りのまま、自販機までたどり着いて、きちんと千円札が吸い込まれる様子で、自分が戻ってきたと感じた。
大きめの本屋に立ち寄って、技術書をいくつか品定めし、3冊購入した。これから長い休みなのだから、半分くらいは読めるだろうと思った。その時は。本屋に陳列された本は魔法にかけられており、無性に読み耽りたくなるが、自宅の本棚に格納した瞬間魔法が解けて、いつまでも掘り起こされない化石になってしまう。休みが半分以上過ぎた現在、まだ一冊目も半ばといった感じで雲行きが怪しい。魔法が解けないように、本棚には入れていない。
3冊の本を購入するとき、レジの前にはかなり長い列が出来ていた。年末年始の暇をどうやって潰すか、悩んだ末に皆ここに並んでいるのではないかと空想すると面白かった。実際には、やたらレジが遅いことに気付く。本屋で働いている人の温和な性格と、レジの遅さには、なんとなく相関があるように思った。
川崎駅から電車に乗って、降りた。帰り道では、車も人も、普段よりずっと少なかった。とても静かで、この辺りには人が住んでいないのかと思うぐらいだったが、よく耳を澄ますと室外機の動く音が聞こえるのだった。どこかで誰かがいきなり叫んだとしても、そこら中で蠢いている音が、それをかき消す気がした。生活があって、安心があった。15時前の傾いた日差しが向かう先の南から差し込んだ。すっと目を細めると、光の輪郭はぼやけて散り、眼鏡が汚れていることに気がついた。レンズに付いた指紋が、日の光を滲ませており、それは多分、無遠慮に眼鏡を外した彼女のせいだった。ようやくそこに至って、寂しさを思い出した。