やがて君になる

少し前のお酒の席で「嫌いなものについて話すより、好きなものについて話すほうがよほど良い」という話を賜りました。当たり前の話なんですが、色々と考えることがありました。
まず、「これがとても嫌いで……」というスタンスで来られた時に、それを自分が好きだったりしたら、返答に物凄く困ります。「まあそういう人もいるよね」と話をすり合わせるにしても、結局自分の好きなものを否定されているわけですから、いい気がしないのは当然です。一方で「これが大好きで……」と相手が語るものを、自分が嫌いだったとしたらどうでしょうか?個人的には、その人が好きなのは勝手なので、なんとも思いませんし、それこそ「そういう人もいるんだなあ」で終わる話だと思います。飲みの席でも、大体そのような論法で、好きなものを語ったほうがいいという話でした。
しかしながら、その「好き」「嫌い」が当人の属性に関わってくるような物事だった場合、その好みを許容できなくなる場合も出てくるのかな、とも考えました。僕は猫が好きなので「あそこで食べた猫は最高に旨かったから、今度一緒にどう?」と薦められたら、結構引いてしまいますし、話題を選べと注意してしまうかもしれません。あるいは「鳥越って最高に有能だから投票しようぜ」と薦められたら、結構引いてしまいますし、ちゃんと人を見て選べと忠告してしまうかもしれません。要するに、文化的・政治的な事柄については、その志向が属人的性質を帯びていて、その人の人格に対する感触を一手に引き受けてしまうことがあるということです。また、それらの志向とその志向を持つ一個の人格とを、きっちりと区別し話し合えるかどうかは、個人個人の能力によるところが大きいのです。
フジロックに政治性を持ち込むなって、読経に宗教性を持ち込むなっていうのと同じだよね」とコメントしたところ、その意図があんまり伝わらずに軽く炎上してしまったアジカン・後藤さんの話を読んだりすると、娯楽としての音楽に政治性という色がついてしまったかのように批判をする人が多く見受けられたように思います。その色が何色であるのかが気にかかる人、そもそも色がついていたなんてと怒る人、様々ですが、ある性質(この場合は政治性)が肌感覚として受け付けない、という生理的反応に留まっているような印象を受けました。
「これは嫌!」という生理的な反応は、まさにお酒の席の話に繋がってきます。属人的性質の話題について、どうも僕らは生理的に反応しがちなようです。嫌いなものについて語られても、好きなものについて語られても、そもそも話題自体に生理的に反応してしまう場合に、どうしたらよいのでしょうか。
僕は激しく主張したいです。「やがて君になる」を読んでください。

いや、全然政治性とか関係ないです。それはそれは可愛い女の子が恋愛する話なんですけど、女の子同士の話なんですけど、百合漫画なんですけど。成績優秀品行方正容姿端麗で一見完璧な生徒会員である七海と、ほやほやの新入生小糸の物語です。彼女たちは「誰かを好きになる」という感覚を知らないまま、それぞれの人間関係に悩んでいます。小糸は「誰のことも特別だと思えない」と七海に告げます。七海は、自分のことを特別視しない初めての他者に出会い、小糸に対して恋愛感情を抱きます。そのようにして物語が始まります。小糸が七海のことを特別だと思わない限り、七海は小糸のことを特別だと感じることができる。なんだか進んでいくのが怖い話です。平行を保てなくなる線路の上を走る電車に乗ってしまったみたいな。だって「やがて君になる」なんですもんね。
小糸の感情はまじりっけなしのピュアというやつです。彼女の考え方は大人びていて、めちゃくちゃ気遣いの上手い子として描かれている一方で、恋愛に関してはよちよち歩きです。漫画の中での恋愛はもっときらきらしていて、自分がもし恋に落ちたらきっと背中から羽が生えたような気持ちになる……と思っていたのに、実際に男の子に告白されたとき、彼女の足はしっかり重力を感じていました。そして「恋愛のどきどき」が無いから、その気持ちに正直に男の子をフリます。そこに「まあ付き合ってみれば変わるか」とか一切の妥協はありません。ただ気持ちが大事なのだ、という小糸哲学の下、彼女は心臓が誰かを選ぶことを期待して過ごしているのです。
一方の七海は設定上パーフェクト超人です。漫画みたいな人です。しかしその実、彼女は誰かから特別視されることを望む一方、本当の自分を見てくれる他者を渇望しています。自身の生い立ちからそうならざるを得なかった七海の捩れた内面は、特別視ばかりでは寂しく、かといって素の自分を肯定されることも望まず、かなりグロテスクな状態です。それをただありのままに見つめ、好きとも嫌いとも言わないでくれる小糸は、七海にとっての大きな拠り所となっていきます。
女の子同士の恋愛ということで、百合ってカテゴリに分類される漫画ではあるのですが、ここに描かれている関係性は一般的な恋愛についてかなり踏み込んでいると思います。「特別」ってなんだろう?漫画の中で描かれている「どきどき」って、現実に存在するの?と、読者は漫画に問われています。恋愛にそれは必要なのでしょうか?自分のことに立ち返って考えてみると難しいです。この物語がどのようにメッセージしていくのか、今後がすごく気になります。


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余談ではありますが、読んでいる途中、この曲を思い出しました。(ロックトランスフォームド状態におけるフラッシュバック現象って言うらしいです)性的なものが恋愛に絡んで、絡まっちゃったよって歌です。「やがて君になる」は、ある意味これの別角度ですね。もうどんどん推していきたい。

一番最初の話に戻ると、小糸のスタンスで生きていきたいなと思うんですよね。恋愛とは違う方向ですけど、ありのままを受け入れて、肯定も否定もせずに、自分が魅力を感じるものを待ち続ける。「心臓が選ぶ」のを待つ。それこそが生理的反応です。脈が早まったら、「どきどき」を感じたら、リアクションすればいい。それ以外のものについては、肯定も否定もしないで、ずっと無関心でいればいいのです。少なくとも表面上は。そんな姿勢でゆるゆるとね。いいと思うんですけど、ちょっと自分で書いてて結論に無理がある気がしてきました。
好きなものについて語るのは、おそらくここで書いてきたこと以上の価値も、あるんだと思います。こんなけったいな文章でも、誰か読んでくれたら、この作品に興味もってくれるかもしれませんし。どっかで作者さんにこの熱い思い(?)が伝わるかも分かりませんし。近くの漫画喫茶にリクエスト出したり、それに応えて入荷してもらったりしましたし。えへへ。