状況を開始したい

「状況を開始する」という言い回しに心をくすぐられる。この言い回しをどこで初めて聞いたのか判然としないが、おそらくは攻殻機動隊だったような気がする。「状況」というなんでもない言葉の後に、「開始する」が繋がっただけで、どうしてこんなに格好良く聞こえるのだろう。状況は開始されたときが一番かっこいいし、開始すると一番かっこいいのは状況だと確信している。意味合い的には「作戦決行」である。事前に把握できる情報をすべて計算し、あらゆる万難を排して条件を揃え、全てが整った「状況」をただ想定通りに「開始」して、望む結果を導き出す。そういうニュアンスが「状況を開始する」にはある。この印象の前では「作戦決行」などという四文字は、物凄く稚拙に響かざるを得ない。「状況を開始する」のが一流のスナイパーだとすれば、「作戦を決行する」のはどうしたって騎馬戦に望む男子4人組である。そんなわけで、常日頃からなんとか開始できる状況が落ちていないか道端を探しながら歩いている。しかしまあ、なかなかそんな状況には直面しない。元来計算高い方ではないので、ある「状況」をセッティングするための準備とか面倒くさくてやらないのである。今日は職場で防災訓練があり、10時を過ぎたあたりで避難ガイドのアナウンスが流れ始めた。火元はビルの中腹の休憩室で、我々はいち早く消火に当たるなり、火災報知器の動作とともに動かなくなるエレベータを脇目に急ぎ階段で下層に降りるという想定であったが、「ミナサン、アワテズニヒナンヲ」という棒読みアナウンスには一切の切迫感がなく、むしろより喫緊の仕事に追われて、結局のところ誰も自席から離れずじまいだった。これはあまりにも勿体無い。アナウンスの彼が一言、少し低めのトーンで「それでは、状況開始」と一言言い添えるだけで、職場の人間は我先に駆け出すはずなのに。「スモッグだ!姿勢を低く!」「上着を濡らして集まれ!消火を試みる!」「電気系統が落ちる前に扉を開けはなて!閉じ込められるぞ!」いつの間にかそんな状況を頭の中で開始してしまったので、今日は一日捗らなかった。ああ、状況を開始したい。