地獄は頭の中にあるという表現について

地獄は頭の中にあります。意識の中にあります。落ち込むときにあなたは必ずそれを頭の中で反芻します。こんなミスしちゃったな。ひどい言葉を発してしまったな。このように生きてなんになるのかな。スケールは色々ですが、そのような地獄は必ず認識される過程の中で頭という胃袋の中で反芻されゆっくりと消化されていきます。考えを追い払うために僕らは娯楽を作り始めました。何も考えずに済むように。あるいは、それを他者の物語として外部化して、他人事として考えられるように。物語の構造には、虚構の中で受け手が生きられる間口が必ず用意されています。共感をするとなぜ楽になるのか、動物的に考えれば集団に属することが生き物として便利だからというのもありますが、もう少し人間的に考えると、自身の思考を外部化して自分だけの地獄ではないことを認識できるのが大きいところかと思います。強すぎる想像力は自分の中に地獄を作り出します。自家中毒のようなものです。なにかを考えることが、なにかについて考えなければならない、考えてしまう状況として現れてくると、人はどうしても辛くなってしまいます。地獄から逃れるためには、考えることを辞めることです。そのような自分を受け入れることです。いつも酔っ払いでいるために、僕はアルコールを摂取しています。酔っ払いでいると楽なのです。考えは浅くなり、誰の言うことさえまともに響かなくなります。考えることを自分で選べるというのは、それだけで物凄く幸福なことです。考えることを見つけられるだけの教養と、思考を手段として目的に沿うよう動作させるだけの知性と、それらを面白く思える好奇心が必要です。今日も幸いなことに、僕は地獄について考えており、このような業の深い状況をなんとか楽にするために考えて、そのためのステップをRPGのように楽しんでいます。地獄は頭の中にあります。それを考えられるだけの自由が、僕にはどうやらあるようです。