怪物たち

たまに帰り道が分からなくなることがある。帰るという行為は相対的なので、「帰る」場所と「帰らない」場所がある。高校を卒業して県外に出た時と、大学を卒業して引っ越した時とで、帰る場所が変わった。なにかへ所属する意識が人を帰らせている。家に帰る途中でそんなことを思った。
僕の家は帰る場所だろうか。待っている人は居ないし、何にも所属していない。自分のために整えた、不十分ながらもそこそこ快適な空間があるだけだ。駅のホームで東海道線のオレンジを見て、実家がその先にあることを考えた。待っている人は居るけれど、そこはもう帰る場所ではなくなっていて、なんとなく他人行儀な時間の流れる場所になっている。帰る場所って、結局は自分にとって快適かどうかで決まるのだろうか?
ネットカフェに帰りたいと思うこともある。シャワーも浴びれるし、ご飯も出てくるし、漫画も読み放題。今の生活ならひと月暮らしてもお釣りが来る。でも結局は家に帰るのだから、ネカフェは帰る場所ではない気がする。なぜ帰るかといえば、単にお金が勿体ないからだ。あと、6時を過ぎたころに聞こえ始める他人の携帯のアラームが不快だからだ。
自分が所有している空間である、という実感が大切なのかもしれない。対価は払っているが、普段家賃のことは考えなくてもよい。毎月現金を封筒に入れて大家に渡さなければならない、というルールがあったとしたら、その部屋にはなんとなく住みづらくなるような気がする。
そんな風に愚図愚図と考えてしまう帰り道に、怪物たちがいる。世の中のあらゆる寂しさを餌にして、誰にも迷惑を掛けず慎ましく生きている。目は少し澱んでいて、ぼさぼさの毛並みをしている。大型商業施設の隅の忘れ去られたような喫煙所とか、工事現場に隣接されたプレハブとか、公園で開かれる見世物小屋のショーとかに、こっそり紛れ込んでいる。彼らのために用意された快適な空間はない。それでも彼らは決まって、それぞれの場所に帰る。帰るって、なんだろう。。。