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善良な喫煙者なんているの?

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祖父を肺癌で亡くされた田中さんは一貫して路上喫煙禁止を呼びかける活動を行ってきたそうだ。
それらの活動の中で見えてくるのは喫煙者の醜悪さ。喫煙を注意したら煙を吹きかけられて、傷害で警察に駆け込んだこともあったそうだ。
なんとも辛いご経験である。喫煙者は本当に頭がおかしいとしか思えない。

かく言う私も喫煙者である。残念ながら。
元記事では、条例違反を犯した喫煙者を「喫煙者」として一括りに語っておられるので、私は善良な喫煙者であることを明示しておきたい。
とは言え、善良な喫煙者とはなんだろうか?

条例に定められていないのならば、歩きタバコをしてもよいか?と聞けば99パーセントの人がNOと答えるだろう。
残り1パーセントは頭のおかしい喫煙者である。周囲の人に受動喫煙を強いても構わない、加害者意識ゼロの無法者である。
しかし、彼らに対して、我々はどういった論理で喫煙をやめさせることができるだろうか?
結局のところ、何らかの取り締まり方法を設けることでしか、実効性のある施策は取れないように思う。だって頭がおかしいから、いくら注意しても聞かないし。煙を吹きかけられるならまだしも、殴られたりしたらたまったもんじゃない。

では、誰にも迷惑をかけずに喫煙している人を、何らかの方法で取り締まるべきか?
田中さんの理屈で言うと、父権的温情主義なるものを採用すれば、喫煙をするという愚行権は制限されねばならず、これも取り締まらねばならないらしい。ほんとか?
もしジョブズに対して「抗がん剤を今すぐ打て!」と強制できるなら、そうしたくなる気持ちもすごく分かる。けどちょっと乱暴なんじゃないだろうか。愚行権の制限というのは、本人の自由意志、この場合は「民間療法で治したい」という意志を無視することだ。
某近藤医師の治療で亡くなられた方は多いようだ。でも、本人が十分納得した上でその治療法を採用し、そのうえで、本来助かる命だったのが、助からなくなるというケースがあるとすれば、それは一つの自由を保障されていることで起きるものだ。私は、それはしゃーないなと思う。頭がおかしいのだろう。(この話の難しいところは、私が近藤医師を決して肯定しているわけではないところだ)
喫煙に話を戻すと、父権的温情主義なる立場からでは「体に悪いからおやめなさい」と強制できる。そうでない立場からでは「まあ害しかないけどお前の好きにしろよ」となる。これって、結構人によって割れるところだと思う。半々くらいであってほしいけども。
前者の立場で行くと、善良な喫煙者などいないことになる。制限されるべき自由を行使しているのは正義ではないからだ。私は喫煙者で、頭がおかしいので、どうにか善良な喫煙者がいることを証明したい。したがって、「まあ好きにしろよ」派でもうちょっと語りたい。

「まあ好きにしろよ」派であるならば、「迷惑かけなければ」が前提になる。
すると、分煙がなされていない、喫煙可の飲食店の中でタバコを吸うのは、食事の迷惑になるので、許されないことになる。誰も自分が食事している横で煙をぷかぷか燻らせられたくはない。しかし、責任の所在はどこにあるのかと言えば、そういう環境を設けている店側であるというのが、頭のおかしい喫煙者の論理だ。そもそもここは喫煙可って書いてあるじゃないか?文句があるなら店に言え、という話になる。これは「まあ好きにしろよ」派には許容できない話である。
結局のところ、善良な喫煙者というのが居るとすれば、喫煙可の場所においても、例えば非喫煙者がいるとか、煙たがられる食事の場であるとか、そのような迷惑をかける可能性のあるところでは吸わないというのが、一つの条件らしい。

では、善良な喫煙者が煙草を吸える場所を考えたい。
駅前とかにある喫煙所はどうだろう?まず、あそこでは吸うべきではない。大抵の場合、完全な個室スペースとなっているわけではなく、青空喫煙所になっている。空間的に煙が必ず外に出てしまうので、傍を通る非喫煙者が不快に思うかもしれない。
ということは、個室であり、かつ排気環境が整備されている場所に限られてくる。例えば、完全分煙のネットカフェである。これなら問題はなさそうだが、分煙室というのを設けることによって、そもそも禁煙室の数が制限されているというようなツッコミが入る余地もある。
ということで、私が考え付く唯一の場所は「煙草屋が屋内に設けている喫煙スペース」である。まず煙草屋には喫煙者しか来ない。そして、屋内なので分煙もされている。複数の換気扇や空気清浄機によって排気環境も整備されている。善良な喫煙者が煙草を吸えるのは、ほとんどこのような場所に限られる。

喫煙者すべてが他者に迷惑をかけているわけではない。ポイ捨てを一切せず、他人のいるところでは吸わない、言わば当たり前のことをしている喫煙者もいる。しかし少数だ。
非喫煙者すべてが煙草を毛嫌いしているわけではない。食事時だけ控えてくれればいいよとか、まあ喫煙席でもいいよとか、気遣ってくれる人は多い。けれども、一切我慢をしていない人は少数だ。

いま我慢をしながら喫煙者と同席している人向けに言っておくと、受動喫煙の害は科学的に立証されている。国立がん研究センターの2016年報告によれば、受動喫煙による肺ガンリスクは約1.3倍になる。リスク評価としては「確実」であると指摘されている。我慢するべきではない。私の前では煙草を吸わないでください、と気軽に言えて、なおかつ喫煙者も素直に応じる社会が理想だけれども、そうもいかない。なぜなら喫煙者は頭がおかしいからだ。再三繰り返してきたが、これは馬鹿にする意味ではなくて、本当におかしくなっている。煙草に含まれるニコチンは神経の受容体においてアセチルコリンと同じような働きをするため、喫煙者の脳から分泌されるアセチルコリンの量は減少する、というようなよく分からん医学的な理屈から、頭がおかしいと言うこともできるという意味合いである。(説明の正しさは担保しません)

喫煙者と非喫煙者という簡便な図式に割ってしまうと、その実態を把握できなくなる。人によっては規範意識をもっている喫煙者もいるし、煙草の煙を見るだけでゾッとする非喫煙者もいるはずだが、そのような度合を無視して語ると、ただその図の枠の中でそれぞれの意見を敵陣地に打ち込む戦争が起きるだけで、建設的にならない。
そう、実は喫煙者も一枚岩ではない。iQOSを購入してからというもの、私は途方に暮れている。もともと、国立がん研究センターの報告が発表されたことがきっかけだった。副流煙に害があることが確実視されるのであれば、道徳的には他人の前での喫煙は加害行為に相当する。iQOSにおいては副流煙は出ず、タールが大幅に少ないという点から呼気煙も問題なさそうだ(根拠となるデータがないので、吸えなくなる理屈は今のところないくらいの意味)と考えて、言わば善良な喫煙者たらんとする使命感から購入した。しかし、実際のところ、私が喫煙できる場所は、紙巻きたばこからの副流煙に満ちた喫煙所しかない。匂いも付くし、できればアイコスユーザーしかいない喫煙所があればいいのだが、と考えるのは私が本当の意味で頭がおかしいからだろう。