クレタ人の嘘


在日かどうかを問う者に悪意があるのは間違いないが、問われた側もまたその悪意に取り込まれている場合がある。というように読んだ。
「お前在日だろ?」と問われて「いいえ、違います」と答えると「在日認定されるのが嫌なのかレイシストめ」と罵られる。「はい、そうです」と答えると「早く国へ帰れ」と罵られる。
答えようのない問いは野蛮だと思う。「なぜこんな失敗をしたのか?」と問う人がよくいる。「分からない」と答えれば、「そんなことも分からないのか?」と罵られる。「◯◯だから」と答えれば、「分かっているならなぜできないのか?」と罵られる。結局そのような問いを投げかける人は、言葉の意味と発話の目的が食い違っており、「なぜ」と聞きながら理由を求めているのではなく口撃をしたいだけなのだと思う。
そうした悪意に取り込まれること自体を、元の記事では批判的に書き、自省を促している。前提を考えるべきだと。
前提を考えられるのであれば、孫引きになるが「僕がゲイかどうかなんてどうでもいいじゃないか。否定したら傷付く人が居るんだ」という米国の役者のように答えられる。が、普通無理だ。「お前B型だろ」と言われて、僕が「違う」と答えると、B型の人は傷付くだろうか?ちょっと想像がつかない。在日というナイーブな単語に置き換えた時に、それが起こることを想像するのは、この文章を読むまで多分できなかっただろう。
多少ふざけた答えを予め用意するのだったら、「そういう君は嘘つきの日本人か?」ということになるのかもしれない。