無地のセーターからシャツの襟をちょい見せする男

本当に下らない話ではありますが、男同士で話すと秘めたもののエロさという話がたまに出てきます。パンツがモロリと見えているよりはチラリと見えたほうがエロいとか、なかなか生産性の低い話題ではありますが僕は毎度本当にその通りだといたく共感する次第です。別にエロ話に限ってのことではなく、チラリと垣間見える何かというのは我々の心を打つ力とか性質を持っているなとよく感じます。普段至って真面目な男がたまに見せる乾いた愚痴とか、サバサバとして活動的な女の子がポロリとこぼす湿った愚痴とか。という風に書くとまるで僕がいつも他人の愚痴を聞くばかりだと思われるでしょうが、大体その通りです。
無愛想な人がたまに笑うと可愛いし、無口な人がたまに饒舌になると面白い。チラリと垣間見せる人間の性というのは色々な種類があって、その度に僕は新鮮な心地で眺めたり話したり時にはその点を茶化します。あまりその人のことを知らなかったんだなと反省もしますが、そういう時に現れる何かというのは魅力的だなと思います。趣味のことを楽しそうに語っている人よりも、誰にも知られていないような趣味をこっそり持っている人は、僕には幾分素敵に見えるんですね。それがなぜなのかはよく分かりません。この間、友達が周囲の誰にも教えずやっていたインスタグラムを、別の東京の友達から紹介されて発見するという偶然がありました。フォロワーが物凄く多かったのにびっくりして、その友達にアカウントを見つけたことを伝えると教えると、とても驚いていました。僕は単純にスゴイなという気持ちで友達に連絡しましたが、その友達はどうしても知り合いにバレたくないそうだったので、アカウントに鍵をかけて、限られた人にしか見られない状態にしてしまいました。悪いことをしました。これでもかと茶化す予定です。
平安時代の貴族男性は、屋敷に住んでいる女性を庭の垣根の隙間からこっそり眺めて恋をして、手紙で口説いていたそうですが、そういうチラリズムに対する美的な感覚はもしかするとはるか昔からあったのかもしれません。もちろんパンチラと垣間見では比べるべくもないですが、蘇を美味しいと思っていた貴族とカップラーメンを美味しいと思っている我々の味覚が機能として同じように、ちらりと見える美しさの感覚は、装飾が違えど機能は同じと言える気がします。でも最近セーターからシャツの襟をチラ見せする男居ますよね。あれはちょっといけ好かないんですけど、なんですかね。