また問題の話してる……

いったい検察庁法改正案の何に抗議しているのか|徐東輝(とんふぃ)|note

例えばあなたが「より多くの人に自分の書いた文章を読んでもらいたい」と思うのであれば、どのように問題を解消するでしょうか。まずもって考えるのは、多くの人の目につくように文章をインターネットで公開することでしょうか。ただ、ネット上には有象無象の文章が有益無益に関わらず多数存在しています。なので、最後まで文章を読んでもらうには、続きが気になるように仕向けることです。一つのテクニックとして、最初の段落で問いかけを講じて、読み手に考えてもらうなんてものがあります。例えば僕の考える冴えない問いかけは、次のようになります。

・日本人のうち、女性と男性のどちらが多いでしょうか。

なんて興味を引かれない質問でしょうか。「日本人の平均寿命は、女性の方が長いと聞いたことがある。したがって、女性の方が多い」8割方の人はすぐにこう答えます。自明なことに付き合っている暇はありません。こんなページはすぐに立ち去るべきです。

ただ、興味を引く文章というのは、こうした問いかけに予め直感に反した答えを用意しておき、逆説的に論じるものです。僕が用意したのは、次のような答えです。

・そのような統計は存在しません

どういう意味か少し考えてもらう間に、隙きあらば自分語りをさせてもらうことにします。★まで読み飛ばしてOKです。

「いったい何が問題ですか?」と聞いて、たまに怒られることがあります。大抵は「なぜそんなことも(何が問題であるかが)分からないの?」といった反発です。困っている人、特に、ある問題について考えている人は、自分の考えている問題について他人から理解(あるいは共感)が得られないと、気分を害してしまいます。その気持は分かります。でも、何が問題か僕にはよく分からないのです。もう一度聞かなくちゃならないので、今度は言葉を慎重に選び直し、背中に冷や汗をかきながら、恐る恐る伝えます。「あなたが問題であると考えていることは、問題ではありません」

こうも「問題問題」と一つの文章の中で書かれると、次第に「問題ってなんだ?」と字義が分からなくなってきます。この辺で定義しておかねばなりません。問題とは、ある人にとっての理想と現実のギャップです。それ以上でも、それ未満でもありません。

問題には次の2通り(のみ)が存在します。

*1 理想に対して現実が追いついていない(現実には改善可能な余地がある)
*2 現実に対して、過度な理想(期待値)を抱いている(現実は改善の余地がなく、期待値を下げるしかない)

つまり、何が問題であるかを考えるには、上記2つのどちらに当て嵌まるかを考えればよいことになります。とても簡単なことのように思えます。ただし、実際には、何を問題とするかは「誤謬を含まないように」「事実に即して」細心の注意を払って定義しなければなりません。きちん問題定義をしなければ、正しい解決策には繋がらないものです。

★冒頭の問題に立ち返ると、実は定義があやふやです。

・女性/男性、とはなんでしょうか

どうやら元の質問には、戸籍上の女性・男性に基づく区分で人口を比べた場合、などの注釈が必要そうです。あんまり良く知りませんが、出生届を出す前に赤ちゃんに性自認を確認するわけにもいかないので、大体は外性器の形状で男女を決定するものと思われます。オリンピックの選手などは、体内の男性ホルモン量に応じて、性自認は女性でありつつも女性としての出場を認められなくなる場合がある、といったニュースも聞いたことがあります。現実の女性/男性の区分は曖昧であり、2つに分けて人数を比べることができるというのは誤謬(*2)です。

・日本人の、性自認に基づく女性/男性の人口比に関する統計情報はない
・日本人の、生物学的知見に基づく女性/男性の人口比に関する統計情報はない

ぐらいは、言えちゃうかもしれません(統計が存在するかは、もちろん知りません)。元の問題(女性と男性どちらが多いか)は、暗にヒトが男性女性のどちらかに分かれることを含んでしまっているので、こうした意味合いを含まないように、定義する必要があります。そうしなければ、無意味な問題だからです。

冒頭のリンク『いったい検察庁法改正案の何に抗議しているのか』は、丁寧に問題を解説しています。それでも、専門性の高い一部の内容は理解できませんでした。今回の反響が大きかった理由は、政策論と手続き論が混同され、後者に対する著名人の反応がやや誤解を含んだ形で大きく取り上げられたことにあると理解しています。(恋愛ドラマの相関図みたいな画像とか)僕も含めて、大勢の人が考えるきっかけになったのは重要なことですが、問題定義が専門家の熟議に基づいなければ、健全な議論にはならないだろうとも思いました。