ロックダウン・モラトリアム

「明日東京がロックダウンするから、遊びに行きましょう」

2つの点で魅力的な案だった。誘われたのが僕で、誘ってくれたのが彼女だったからだ。それ以外は最悪だった。説教などしたくはないが、真面目に答えることにする。

「あのさ、みんなそういうの止めようって自粛してるんだよ。控えようとは思わないの」
「むしろ逆でしょう。明日までは"要請"で、それ以降は"命令"なんだから」

自由に遊べる最後の日ですもの、と言うので、僕は上司に休みをもらうと連絡した。


会うのは久しぶりだった。駅の東口、喫煙所で煙草を吸って時間を潰していると、向こうから彼女がやってきた。都合15分ほど待たされたが、特に申し訳なさそうな様子もない。自分を地軸か、グリニッジ天文台だと思っているのだろう。

我々はとりあえず全く人気のない元繁華街を歩き回り、そのゴーストタウンぶりを満喫した。スクランブル交差点で無意味にぐるぐる大手を振って回ってみたり、いつも行列の店に5分で入ったりした。

そういえばタピオカ流行には乗り遅れた、というので、有名店を探してしばらく歩いた。紡錘形のカップにカラフルな色のドリンク、そして黒ぐろと浮かぶタピオカ。実を言うと僕も初めて飲むことになった。一応人気店ではあるらしいが、人っ子一人おらず、普通に買えてしまった。

「こんな風にドッと流行って、すっと収まってくれたらいいのにね」
「なにを言うの!根強いファンだっているのに!」

お前は誰の目線で怒っているのだ、と思わなくもなかった。
カップの中で滲んでいる黒い影は、ニュースで見るウイルスにそっくりだった。


貸し切れるなら何がいい?と相談した結果、次に映画館へ赴いた。
営業時間は短縮されていて、本数も少ない。係員は皆、マスクを付けていて表情が分からない。
ポップコーンだけはなぜか平常時と同じくらい作られていて、あんな量誰が食べるのだろうと僕は不思議に思った。

券売機で見ると、なんと一人も客が居ない上映時間があるではないか。内容には毛ほども興味はなかったが、ホール一つを貸し切れるのならばと我々は即断しチケットを購入した。
内容はやはりイマイチだった。貸し切りのつもりだったのに、途中で大学生風の男が入ってきてしまった。

「小人閑居して不善をなす、というやつね」

仕事を休んでまでロックダウン・モラトリアムを楽しんでいた自分も、人のことを言えた義理ではない。

映画館から出ると、外はとても明るかった。
僕は目が悪く、暗いところから明るいところに出ると、その差に目が慣れず、時々立ち眩みを起こしてしまう。

「まるで酔っ払ってるみたい」
「どうしても、昔からこうなっちゃうんだよ」
「なら、映画館なんて入らなければよかったのに」

とはいえ、手を握って支えてもらえるので、決して悪い気はしなかった。しばらく散歩しながら、色々な不安を語り合った。どうしようもないことは、一度手放して時間を置くことが必要なのだ。自分の手から離すためには、誰かに話すことが一番だった。

「優しいお父さんだったのね」

そうだったのかもしれない。でも、父については分からないことが多いままだった。もっと話しておくべきことは沢山あったのに、ないがしろにしてしまったのは僕だった。

「ねえ、明日東京がロックダウンするっていうのは、実は嘘なの」

ポカした手品師みたいに彼女は笑っていた。
ニュースでも、明日以降に何かが起きると話していた気がする。
でも、その具体的な内容を僕は思い出すことができなかった。

「明日も、明後日も。大きくは変わらない。象徴的な出来事なんて起こらないし、生活は錆びた車輪みたいに金切り声を上げるけど、誰にも届かない」

どこか遠くで自転車のブレーキの音が聞こえた。

「もし、次に生きて会えたら、もうちょっと面白い映画を見ましょう」
「いいね」

そのようなことを話して、僕らは帰路についた。