ブログ更新100回目

気づいたら今回が100件目の投稿だった。いつからやってるのかもう思い出せないけど、5年前くらいからあった気がする。下書きが膨大に溜まっているので、記念として、公開しておこうと思う。というかこれから下書きを見ていくので若干ワクワクする。

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2013/5/22 12:26:50

ここ最近学校の課題を溜め込んでしまって、やらなければならないぞ!っていう切迫感で日に日に余裕がなくなってきている。

※更新時間、明らかに学校行ってない
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2013/5/26 20:00:59

ウォークマンで音楽を聴いているけど、使っていてなかなか面倒なことが多い。こうなればいいなあって話。ウォークマンで音楽を聴きたいときにはパソコンを使って曲を入れるけど、この過程がけっこう面倒くさい。ウォークマン自体で曲の管理をしたい。回線使って、クラウド上のデータからその都度ダウンロードしたり、いらない曲を削除したりできれば楽。充電はパソコンから有線だと面倒だから、置くだけの充電器に対応したり、コンセントに挿せればどこでも充電できるからいいな。(コンセント用充電器はあるけど、デフォルトにしてほしい)音楽を聴く機能だけあれば僕にとっては満足なので、録音やラジオ対応、アラーム機能、あとはムード再生とかはいらない。ブラウジングも出来たら便利だけど。マイクもつけたらラインとかで電話できるし。そう考えたらどんどんスマートフォンに近づいていってしまう。

スマホで音楽聞くのは今も嫌だけど、ストリーミングサービスができてしまった
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2013/6/16 23:14:45

 ある夜、物音がした。鼠がゴミ箱を漁っているような音が、どこからか細く聞こえてきた。海底の二枚貝がはいた気泡がゆらゆらと水面に向かっていくのに似た、ぼんやりとした覚醒がやってきた。はっきりと意識が戻ったときにはもう、物音は聞こえていなかった。昨晩床に就く前の部屋がそのままの形で残っていた。机の上にはノートと数学の参考書が開かれたまま置かれていた。壁にかかった木彫りの古びた時計は午前二時をさしていた。明日は早いからすぐにでも寝たかったが、本当に鼠が居たとしたらとんでもないことだ。ベッドの下や本棚、押入れを探したが、鼠が何かしていたような様子はなかった。あの物音は何だったのだろうかと気がかりになったものの、その晩はまた速やかに眠ることができた。
 その数週間後、また同じように目が覚めた。そのとき気付いたことがある。どうやら物音は部屋からのものではない。僕の鼓膜の内側で、何かがごそごそと蠢いているのだ。それはほとんど錯覚のような物音で、夢から覚めたときには既に止んでいる。しかし、夢のなかでする音というわけでもない。僕の鼓膜が現実に揺れて、何かの音が感知されるので目が覚めるということらしい。音がするのは、いつも決まって午前二時だった。その時刻になにか関係があるのかもしれないが、僕にはなんの手掛かりも掴めなかった。
耳の病気かと疑って、近所の耳鼻咽頭科に出向いた。禿頭の院長は、僕の耳に起きていることはなにかを調べるために、あらゆる手段を使った。その幾つかは生理的にストレスの大きいものだった。その後に出た解答が、なにもわからないということだけだったのは散々だった。
うちへ帰ってから、また別の考えを持った。これは精神的問題に起因する現象ではないだろうか。隣人に目撃されてもいいように簡単な変装をしてから、精神科へ向かった。そこの若い女医は、理知的な人に特有の冷たい口調で話した。僕は幾つかの質問を女医から受けた。日常に関わる問題のことや、食欲と性欲の程度について聞かれた。どちらの欲も人一倍旺盛かもしれませんと答えると、女医は薄く笑いを浮かべた。結局、精神科でもこの現象の理由は分からずじまいだった。
 物音が聞こえて目が覚めるたび、僕はこの現象をより緻密に観察するようになっていった。就寝時間に関わらず、物音は必ず午前二時に聞こえた。日によって違う印象で聞こえることがあった。例えばある日は、鼓膜の内側がこすられるような音だった。またある日は、つむじあたりの頭蓋の裏側からノックされるような音だった。鼓膜の内側や頭蓋の裏側から音が聞こえる、と表現すると、不快な物音に想像されるかもしれないが、なぜだかこの音に不思議な心地よさを感じることもあった。

※空想のエッセイにあこがれていた。Fとか
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2015/2/11 23:09:05



こんな記事がありました。リンクを踏んで確認するのが面倒な方に向けて要約すると、人は同じ料理でもより高い値段を払った場合満足度が高くなるそうです。この記事を受けて以下の様なブックマークコメントがありました。


料理の美味しさは価格に左右される:研究結果 | ライフハッカー[日本版]
このオチわからん。栄養価ならともかく、美味しさなら錯覚でも全然問題無いじゃん。高い金払ったほうが満足しやすいなら、どんどん払おうってオチになるんじゃないの? ここでいう賢明って何?
2015/02/11 19:12

高い値段で美味しく感じるなら払ってもいいじゃんって御意見です。なるほど確かに払った分だけ美味しくなるんだったらいいですよね。しかし質問が美味しかったかどうか、満足だったかどうかではなく、その料理に対しての値段が適正だったかどうかという質問であったなら結果はどうなっていたのでしょうか?
引用元の研究が気になったのでアクセスしてみました。

Lower Buffet Prices Lead to Less Taste Satisfaction - Just - 2014 - Journal of Sensory Studies - Wiley Online Library

Abstract
A field experiment was conducted to assess how diners' taste evaluations change based on how much they paid for an all-you-can-eat (AYCE) buffet. Diners at an AYCE restaurant were either charged $4 or $8 for an Italian lunch buffet. Their taste evaluation of each piece of pizza consumed was taken along with other measures of behavior and self-perceptions. Their ratings were analyzed using 2 × 3 mixed design analysis of variance (ANOVA). Diners who paid $4 for their buffet rated their initial piece of pizza as less tasty, less satisfactory and less enjoyable. A downward trend was exhibited for each of these measures with each additional piece (P = 0.02). Those who paid $8 did not experience the same decrement in taste, satisfaction and enjoyment. Paying less for an AYCE experience may face the unintended consequence of food that is both less enjoyable and rapidly declining in taste and enjoyability. In a sense, AYCE customers get what they pay for.

※翻訳が面倒で書くのを諦めている
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2015/4/10 3:32:31

バイト先は受付のような業務が主でお客の居ない日は暇が多く漫画を読んだり将棋を打ったり煙草をふかしたりしているのですが、今日も案の定そんな流れでした。暇は無味無臭の劇薬、とかいうタイトルの面白いブログがありますけども、それはその通りだなというか、人間暇を持て余すとだんだん腐ってくるものです。暇になると腐るのか、腐ったら暇になるのか、卵が先か鶏が先か的議論もあるでしょうが、暇人は大抵の場合ろくでなしというのはみなさん納得するところではないでしょうか。僕も暇人だというだけで様々な差別を受けてきました。大学2年までアルバイトを全くしたことがなかったのですが、なぜ働かないの?と周りから問われるわけです。その度に「社会に出たら幾らでも働けるのだから、学生のうちにしたいことをして遊ぶのがよい」と説明すると、やたらと勢いのある反論が返ってきたものです。「バイトを通じた成長」「お金を稼いで自己管理」「親を楽に」すべて正論だと思いますけども、心配してくれてありがたいと思いますけども、理屈を通す時だけ正論を使うのはとても嫌だなあなんて感想しか持ちませんでした。


※タイトルは「少しだけ良いビールを飲むということ」なのでウケる
3時半まで飲んでたんだろう。そして寝た。
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2016/6/3 4:52:22

世間は2016年6月3日になりました。
つい二日前の1日は20160601が素数だったので、奇特な界隈では小規模な盛り上がりを見せていました。

さて、今日はなんの日でしょうか? 少し調べてみると、ムーミンの日だとか測量の日だとか案外色々あるようです。
この日に生まれた著名人もそれなりにいるだろうし、これを読んでいるあなたの誕生日の可能性だってあります。
あるいは誰かの命日だし、あるいは今日誰かが生まれるのであって、記念日でない日など一日もないと言ってもいいかもしれない。
毎日なんとなく過ごしていても、誰かにとっては記念すべき一日だったりします。日めくりカレンダーも破り捨てづらくなります。

僕にとって、6月3日は二日前まで特別な日ではありませんでした。
強いて言えば、大学で講義を受け、喫茶店でコーヒーを飲み、コンビニでアメリカン・スピリット・メンソール・ライトを買い、amazonの払い込みを済ませ、晩御飯にいつもよりちょっとだけ時間をかける。そのような日になるはずでした。
しかし、ほとんど偶然に、僕は気づいてしまいました。amazonの漫画ランキングに上っているタイトル。


HUNTER×HUNTER33巻、出るじゃん!!!!と。



まず新しい単行本が出るの何年ぶりだよ!って話です。
32巻が出たのは2012年12月28日。三年半ぶりってことですね。
もしかしたら、単行本の中にはもっと間の空いた巻があるかもしれません。
しかしながら僕にとっては32巻と33巻の間は、歩いて地球の裏側に行くよりも長く感じられました。

そもそも僕はジャンプっ子だったので、毎週欠かさず一部買っていました。
高校生になって「そろそろジャンプから卒業かもしれない」と思い立ってからは、好きな漫画だけ単行本を買って読むことにして、それ以降週刊少年ジャンプの作品にはアニメ化したものくらいしか触れなくなりました。
僕にとって、単行本派になってから初めてのHUNTER×HUNTERの空白期間は、それゆえに、気の遠くなるほど長く感じられました。


未だに三年半前の、クラピカがソファに座ってるシーンで時が凍結しています。
暗黒大陸編」なるワードは友人から聞きましたが、単行本派になったあの日からずっと僕は大陸編童貞を守り続けてきました。
ジャンプを立ち読みするなんて僕には到底できっこないのです。それは一つの暴力の形式で、唾を吐きかける無礼くらいに思っています。
読むなら必ず買って読む。作者や出版社に対して、コンテンツを消費させてもらう側の人間として、当たり前のことです。
まさか単行本が出ないために買って読みたいのに読めないという状況が起こるというのは予想してませんでしたが。

これまでネットを見ていて、様々なネタバレに出会いそうになりました。地雷原を渡る人のような慎重さを以て、いかなるネタバレをも回避してきたつもりですが、唯一防げなかったのがツイッターのアイコンでした。頭部が巨大な球形になっている生物の画像です。許さん。

※いけこさんにキレている
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2016/8/21 6:12:27

自分の考え方とか行動の仕方とかって決して自分だけの力で形作ってきたわけではなくて、他者から経験から影響を受けつつ、川が何もない大地を削るみたいにして、ゆっくりと形成してきたのだと思います。その過程を振り返ってみれば、どのように今の自分が出来上がったのか、分かるのではないのかと考えてみました。ひとまず、これまで読んできた中で印象に残った本をピックアップします。読む本に困ってる人の一助になればと思います。

1.吉屋信子花物語
なんて瑞々しい感覚を持っているのだろうと思います。大正時代の小説ですが、女学生の内心を絢爛な文体で流麗に綴ります。それら全てが感傷的です。エモみがあります。切なさと悲しさはどう違うのか?という話を僕は酔っぱらった時によくするのですが、切なさは距離感、悲しさは喪失感らしいです。(酔っぱらい調べ)「花物語」は掌編小説の集まりなのですが、全体的にとても切なさの色が強いです。「花は美しくも儚い」的な感傷がどの作品の根底にも通奏低音のように流れています。一方で、作者の吉屋信子は百合の源流だとか言われていまして、女の子同士の切ないやり取りを読んでウフフとなれる人にとってはかなり満足度が高いかと思われます。彼女の記念館が鎌倉にあると知ってから四年、ずっと頭の片隅で行きたいなと思っています。

2.

花物語を推したかったが面倒くさくなっててうける
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2017/1/31 3:21:17

久しぶりに日記を読み返してみたら「~です」調と「~だ」調の文章の2つに分かれてて、この人分裂病かなんかかな?って思いました。
一人称に関しても「僕」もあれば「私」もあって、よく分からん感じです。
そもそも自分の中では、これらの使い分けがあまり判然としていません。富樫義弘がヒソカの台詞に付けるマークに規則性を設けていないようなものです。曖昧模糊とした使われ方の中で、読者は何となく「こんな風に使われているのでは?」とか、「ここはハートじゃなくてダイヤだろ!」とか思えるのです。僕も「この記事はなぜ『私』かつ『常体』なのか?」と突っ込まれる隙を巧妙に作りつつ書いている、ということです。

(?)

一般に「私」と書かれる文章は、比較的格調の高いものであることが多いように思います。まあもちろん女性の一人称としてメジャーなので、ちょっと砕けたエッセイとかを女性が書いてる場合の「私」もありますが。というか、女性って一人称で迷うこと自体稀なのかもしれません。「私」以外に一般に使える一人称と言えば、「あたし」「うち」とか「○○(本人の愛称や本名)」などになってきますよね。確信をもって言えないですけど。「僕」とか「俺」もありますが、匿名ではなく本人として女性がこれらの一人称を採用するときは、なんらかのジェンダー意識が含まれざるを得ない気がします。いよいよ込み入ってきました。一般化しづらい話ではありますが、僕はそういう印象を受けますというところで落ち着きます。
エッセイの話で行くと、男性作家のなかには「私」派もいるし、「僕」派もいます。「俺」も少数派に見えて実は結構いるんじゃないかと思います。自伝的なエッセイの中では特に強い印象を与える一人称が選ばれる傾向にあります。僕は「俺」よりも「僕」の形で筆者の姿が浮かんでくる文章が好きです。「俺」にはなんとなく共感しづらいところがあります。どんなに好きな文化人でも、非文化人でも、「俺」で書かれてしまった瞬間に、その文章を読むのが微妙に辛くなります。そこまで毛嫌いする必要もないのですが、どうしても僕は「俺」に対して苦手意識を持っているようなのです。自分の生活内では、「俺」を結構使ったりします。基本は「僕」なのですが、何の気なしに年下と話すときにはいつの間にか「俺」になっていたりします。

※めっちゃ分かる
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2018/1/30 1:21:09

夜にツイッター見てたら鋭いことを言ってる人がいた。

四年かそこら都会に出た人がもともと住んでた地元を馬鹿にするのはまあしょうがないとして、地元に住み続ける人を見下すのってどういう心持ちなんだろう。そちらが都会で過ごした時間、こちらの時が止まってるとでも思ってるんだろうか

私は田舎コンプレックスだ。地元の人間関係は物凄く狭かった。小学校は一クラス15人だったし、今は廃校になってたりする。中学に入って見知らぬ人々に囲まれ、根暗な思春期爆発を起こしていたため、早いところ都会に行きたかった。都会と言うと微妙だが、電車で一時間半の宇都宮の高校に通い始めたら、風通しが良くなったのを覚えている。自分の話を面白がって聞いてくれる人がいるのは楽しい。逆に、面白い話をする友人が居たのもよかった。
大学受験は間一髪セーフで新潟大学に拾われた。後期試験の前日、ホテルにたどり着いた14時過ぎに震災でめちゃくちゃ揺れて、ここで死ぬのかなとちょっと思った。テレビで津波の映像が何度も流れて、今も冬空の下で震えている人がいるんだなと考えながら床について、その影響からか新潟はどこか忙しない印象で僕の中に入ってきた。三星住発の前の三叉路を見ると、初めてそこを通ったときのことが今でも思い出せる。一年目の冬、アパートの階段下を隠した膝丈の雪。泥酔して自転車の上で起きた朝。手に残った火傷の痕。二度と見つからないサンダル。財布も持たずに彼女の家から飛び出した雨の日。。と書くとなんかエモいけど後半全部クズエピソードしかない。一人暮らしがひたすら楽しかったのだ。


※振り返るのが辛かった
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2018/5/28 2:11:24

Twitterで昔からボソボソ変なことを呟くのが好きなんだけど、そろそろ実名で言えることがなくなってきたのではないかと考えている。主に仕事の話はすべてNGになってしまう。クライアントのこと抜きで技術的なことを書けばそれはそれで「アリ」なものにはなるのだが、私が対応しているものについて書けば、「この名字で、この内容で、この時期に呟いている」ということであっという間に特定されてしまう。せめてもう少しメジャーな名字だったら楽なんだけどな。身内に特定される分には全然問題ないのだけれど、最悪なのは、クライアントにバレて問題になり、私の首が飛ぶだけならまだしも、会社の取引がなくなることだ。一人で責任を負える範囲ではない。「なにが問題か」というのは記載した内容にもよるのだが、個別的な話を一般的な話に広げて書いたって不快に思うやつは不快に思う。例えば、自分と喧嘩している人間がTwitterで「否を認めない相手とやり合うっていうのは面倒くさい」という発言をしたら、それが例え一般論でも、自分のことだと思ってしまうだろう。技術的な話も、それに近い内容になる場合がある。「こういう設定でこういう運用のほうが楽なんだけどね」とばかり書こうものなら、「それ俺んとこのこの話だろ死ね」と言われかねない。
実名でネットすることは昔から矜持をもってやってるつもりである。自分が責任を負って発言する、という当たり前のことを公共空間でやるのが、割と大事だと思っている。自分が反社会的なツイートをして、それが問題になっても、それは自分の責任だと言えるかどうかって、割と難しいじゃないですか。


※この感覚は今もある
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2018/12/3 23:08:57

構築用メモ。
content filter 用のインスタンスは下記で解説がされていそうだ。
ほぼ設定がデフォルト値なので後でいじる。

Managing multiple Postfix instances on a single host

下記は適当にサーバ三台として検証するときの雛形設定。
userAとかは露骨にRecipient address rejected: User unknown in local recipient table (in reply to RCPT TO command))でエラーでたので、ユーザ名に気をつけときましょう。


デフォルトmain.cf

queue_directory = /var/spool/postfix
command_directory = /usr/sbin
daemon_directory = /usr/libexec/postfix
data_directory = /var/lib/postfix
mail_owner = postfix

myhostname = a.post1.com
#myhostname = b.post2.com
#myhostname = c.post3.com

mydomain = post1.com
#mydomain = post2.com
#mydomain = post3.com


myorigin = $mydomain

#inet_interfaces = localhost
inet_interfaces = all


inet_protocols = all

mynetworks = 192.168.xxx.0/24, 127.0.0.1


#mydestination = $myhostname, localhost.$mydomain, localhost
mydestination = $myhostname, localhost.$mydomain, localhost, $mydomain


#home_mailbox = Mailbox
home_mailbox = Maildir/


unknown_local_recipient_reject_code = 550
alias_maps = hash:/etc/aliases
alias_database = hash:/etc/aliases
debug_peer_level = 2
debugger_command =
PATH=/bin:/usr/bin:/usr/local/bin:/usr/X11R6/bin
ddd $daemon_directory/$process_name $process_id & sleep 5
sendmail_path = /usr/sbin/sendmail.postfix
newaliases_path = /usr/bin/newaliases.postfix
mailq_path = /usr/bin/mailq.postfix
setgid_group = postdrop
html_directory = no
manpage_directory = /usr/share/man
sample_directory = /usr/share/doc/postfix-2.10.1/samples
readme_directory = /usr/share/doc/postfix-2.10.1/README_FILES


# ↓メールサーバソフト名の隠蔽化/任意かなあ
#smtpd_banner = $myhostname ESMTP unknown


#↓smtp認証設定/任意かなあ
#smtpd_sasl_auth_enable = yes
#
#smtpd_recipient_restrictions =
# permit_mynetworks
# permit_sasl_authenticated
# reject_unauth_destination


#↓メッセージサイズの指定。あってもいいかな
message_size_limit = 10485760

■新規ユーザ作成
mkdir -p /etc/skel/Maildir/{new,cur,tmp}
chmod -R 700 /etc/skel/Maildir/

上記使っとけば勝手にユーザ作成時にMaildirが切られてくれるのでやっとくべき。


※大丈夫です
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なんかワクワクしてたけどそんなに面白いものはなかった。面白いとは。