遠くへ行きたい

子供の頃、毎週のように日曜日の朝には「遠くへ行きたい」を見ていた。あの素朴な風景を眺めて、主題歌の「遠くへ行きたい」を聞きながら思いを馳せていた。誰の歌なのかはよく知らない。検索したらジェリー藤尾という人がスーツで歌っている動画が出てきた。おおよそ休日の朝には似つかわしくない歌ではあるのだが、どこまでもマイナー調のこの歌が明るい風景の寂しさを写し取る影みたいに響いていて、僕はそのアンバランスさみたいなものが凄く好きだったと思う。実はこの記事を書くにあたって、放送されていた曜日を調べた。関東広域圏では、どうやら毎週日曜日に放送されていたようだ。冒頭で「日曜日の朝には」と書いたけれど、僕にはこの番組は土曜日にやっていたように感じているし、いまも日曜日にやっていたとは思えない。あれは土曜日の朝のことだった。母親に起こされて、なんとなくテレビをつけると、いつもやっていた。あるときは仏閣とか、あるときは縁もゆかりもない島とかを、誰かおじさんが歩いて、湿っぽいナレーションが入ったりした覚えがある。結構見ていたはずなのに、具体的な内容は一切覚えていなかったりもする。遠くへ行きたいの記憶はきっと遠くへ行ってしまった。そういえば、こんな「感じ」を書いてくれている小説を読んだことがある。僕は「少女七竈と七人の可愛そうな大人」という桜庭一樹の小説が大好きで、色んな人に勧めているのだけど、まだ読んでくれた人は居ない。この小説の主人公は、人並み外れて美しく生まれてしまった旭川の女子高生なのだが、そんな彼女の趣味は「世界の車窓から」を毎週欠かさず見ることである。この小説自体がすごく良く出来ていて、どんな悪人にもこういった「フック」みたいなものがある。その人の価値観にどれだけ共感できなくても、行動に「引いて」しまっても、でもそいつが「世界の車窓から」を毎週見ているのであれば親近感を覚えざるを得ない。みたいな。主人公の七竈は、絶世の美女であるが、それを前提とした周りの振る舞いや、期待される行動に対してすべてうんざりしてしまっている。ただ朴訥と生きられるならなんと楽しいことだろうと思いつつ健気に生きており、その世間ずれしていない素朴な「ズレ」が更に誤解を招いているフシもある、というような、一口には説明しづらい女子高生である。彼女は誰に対しても敬語を使う。小説の終わりで、彼女と彼女の愛する人が名前を呼び合うシーンがある。「雪風」「七竈」「雪風」「七竈」そんな調子なので、毎回涙を流してしまう。おすすめです。