▼日々勉強漬けだったりする。知らないことが山のようにあり、山のように時間は取れないので、知らないことを知るのに時間をなるべく減らしたい。ストレスは人を成長させると思う。クラシック音楽を聴かせると植物がよく育つという俗説を聞いたことがあるが、あれもストレスの一種だと思う。外界からの刺激をずっと受けている生命というのは、その刺激に対して何らかの反応を返さねばならないのが生物学的な宿命でもある。
▼例えば馴化という概念がある。赤ん坊の視覚がどの程度認識しているか、というのは大人には分からないが、生命である以上経験によって「馴れる」言い換えれば「飽きる」という反応は必ず起きる。同じ絵を赤ん坊にずっと見させ続けると、最初はその絵をずっと見続けるが、その絵を注視した時間を計測すると、馴化が起きて赤ん坊が同じ絵を見続ける時間は短くなる。そこで新しい絵を見せると、注視した時間が長くなる。この場合、赤ん坊の認識としては、2つの絵は別物として認識されていると言える。同じ絵と認識しているのであれば、同じく短い時間しか注視しないはずだからだ。このようにして、「飽きる」という生物学的な宿命を生かして、どの程度の絵までは違うものとして赤ん坊が認識するかを調べることができる。
▼僕が今感じているストレスとかは、状況によって全く違う性質のものになる。飽きることなくずっと、毎日毎日、果てしない階段をずっと登り続けているような感慨があるが、ふとした瞬間に登ってきた道のりを振り返って、ああ僕はこんなにも高い場所に来てしまった、もう簡単に降りることはできないし、飛び降りでもしたら無事ではすまないのだなあと感じたりする。どこに通じているかもよくわからないまま登っていると不安に襲われる日もある。頂上について喜び勇んでいたら、もっと高い山の頂上から誰かに見下されているかもしれない。いつまでこの楽しさと忙しさが続くのか、不安でもあり楽しみでもある。
▼こういう論立てでなにか書くと、新聞の社説みたいだな。。と思って逆三角形を入力した。