音とか

何かで読んだけれど、寝たふりをしているかどうかを調べるのには瞼を触ればいいらしい。レム睡眠に入って夢を見ると、眼球はぐるぐると運動するので、寝たふり(あるいは深い眠りに入っていない)人は目の動き方で分かるのだそうだ。しかしまあ、そこまで真剣に狸寝入りを暴かねばならない瞬間が今後の人生にあるかどうかは疑わしい。おおよそ役立たない知識だけれど、隣で寝ている恋人の瞼に触れるときはちょっと思い出してみてほしい。
眼球は寝ている間にも光を受容している。瞼の裏を見つめているだけだ。音も同じだ。どんな静寂の中でも、絶えず鼓膜は震えている。どんなに無意識でも感覚器はなんらかの刺激を受容している。我々は死ぬまでなにかを感じていなきゃならない。おおなんと恐ろしいことだ。暑さとか寒さとかならまだしも、もし自分の右足の小指がずっと痛かったら、死ぬまで痛みを感じていなくちゃならない。
腰をやって病院に行ったりすると、対処療法としてブロック注射というのを打たれるらしい。立派な治療みたいに聞こえるけれど、その実神経を麻痺させるための注射だそうだ。要は、「背骨の間に挟まった神経は飛び出ちゃっててどうしようもないから一回殺して身軽になろ?その間に姿勢よくして矯正すればええんやで」みたいなことらしい。本来痛みを感じていた腰が注射の後はスッと伸びるようになるのだから、物凄いサイボーグ感がある。痛みを感じない兵士なら地雷原を歩くとかも余裕である。死ぬけど。
最近京都アニメーションが映像化しているヴァイオレット・エヴァーガーデンというアニメは、逆に痛みを感じるようになっていく物語である。人の心を全く知らない傷痍軍人(アンドロイド?)が、戦後に郵便局に勤めて手紙の代筆を生業とするようになる。職を通じた人々との交流の中で「愛してる」を知っていく。それは同時に人の心の痛みを知っていく過程でもある。まだ一話しか放送されてないので続きは全然知らないのだけれど、とても綺麗な絵で人間ドラマをやられるととてもムズ痒くなるのだという発見があった。カット一つ一つが語りすぎていて、見ているとハワーッと叫び出したくなる。「ベロニカは死ぬことにした」のワンシーンの話を思い出す。女性がイった直後、唐突に蛇口から水がジョバーッと流れるカットが挟まるらしい。絵が語りすぎると我々は笑ってしまう。そういう心に対してこそブロック注射が必要である。
「この注射を打つとね」と女医が言うわけだ。「あなたはもう内心ではなにも感じなくなる。楽しいとか、嬉しいとか、愛おしいとか。すべての感情が抑えられる」
誰が考えたのか知らないが、悪魔のような薬だ。「でもね、代わりに寂しくもない。苦しくもない。孤独を感じないし、劣等感に苛まれることもない。なにかに飽きたり、つまらないと感じることもない」
なるほど。つまり、ネガティブな感情もポジティブな感情も一切ひっくるめて何も感じなくなるのか。そいつはすごく楽かもしれない。ぜひ打って欲しいけど、その注射を打った後で後悔しないだろうか。「後悔があったとしても、あなたには認識できない。あらゆることをなんとも思わなくなるんだもの。逆に、喜んだりもしないでしょうね」
なんとも微妙な話で悩んでしまう。悩んでしまうくらいだったら、打ったほうが幸せになれるのだろうか。ちなみに聞きたいのだけれど、医者としてあなたはどう思う?「打ったほうがいいとも思わないし、打たないほうがいいとも思わない」
だろうね。