ホワイトエールと三が日

明けましておめでとうございます。年末からの休みも今日で終わり。2日の夜からFGO始めたら止まらなくなって朝を迎えました。こんな風に時間を使っていたら三年後には何にもできないおっさんが出来あがる気がしています。楽しいね。良くないことは大抵楽しいので世の中辛いのです。
大して何もやっていないけど、この休みには友人と会ってお酒を飲んだ。お酒でも飲まない?という誘いを掛けなければ集らない面子は果たして友達といえるのだろうか。話していると共通の友人の悪口とかがたくさん出てきてたしかに面白い。面白いけどそれは友達なんだろうか。そういう区分とか面倒くさがって全部同じ段ボール箱に入れていつか物置にしまったまま忘れていくのだろう。
子供を産むということについて割りと真面目に語ったりもした。ずっと、自分の子供を持つことに忌避感みたいなものがあった。自分と同じような育ち方をして、同じように悩んでしまうくらいだったら、いっそ子供を作らないほうが、その子供のためなんじゃないかと思ったりした。
適切な例え話ではない気もするが、私のいた大学には野良猫を保護するサークルがあった。保護と言っても、野良猫を飼って養うとかではなくて、適切な距離感で世話をし、野垂れ死んでいたら保健所に連絡するといった、見守り系のサークルである。最も大きな仕事が、野良猫に対する避妊手術だ。どこからお金が出ているのか分からないが、そういう処置をして、野良猫が過剰に増えないようにコントロールしているらしい。彼らは、寒さや飢えといった苦しみを背負い死んでいく野良猫が一匹でも減ればよいと考えており、そのためであれば彼らの性器をちょっと弄るくらいは許されると思っているらしい。
僕も概ね同じ考えである。自分が子供を作ったら、その子はもしかするといじめにあって死ぬほど辛い目に遭うかもしれない。あるいは重度の障害を持って生まれてきて、それを乗り越える事ができずに苦しむかもしれない。あるいは、僕のようなちゃらんぽらんの下に生まれたことを一生憎んで暮らすかもしれない。だったら、そのような苦しみを持つ可能性のある個体を世に産み落とそうというのは、ひとえに「自分の子供が欲しい」という欲求のためであって、進んでやるようなことなのかと考えている。
上記のようなことは、ネガティブ思考がそっくりそのまま現れたような妄言ではある。その子が生まれてきてよかったと思えるのであれば杞憂だし、何よりそんな風に育ててあげることが親になる権利とセットの義務であるからだ。いや、権利とか言い出すから変な話になる。誰だって親になっていいし、他人事だったら口を出すようなことではない。
でも世の中を見ていると、子供が暗いニュースの主人公になっていたりもする。子供は親を選べないのだから、極論親は免許制でもよいのではと思ってしまう瞬間も確かにある。親という不幸のもとに生まれてしまった子供を引き取ってあげたいという気持ちさえある。だから、個人として言うのであれば、養子をとることに何の違和感もないし、それが望ましいことに思える。
ほとんど直感的な考え方だけれど、こういうのが体系化された不出生主義というのも昔からあるらしい。議論の切り口は色々だけれど、子供を産まない理由がこれだけあるのだなと考えさせられた。
そういう話をしながら、ホワイトエールを飲んでいた。on the cloudというエールが塚田農場で頼めたので、三杯くらい飲んだ。来店を重ねると、その回数に応じて役職が振り分けられるらしい。友達は既に課長に昇進していた。私は主任から始まった。ニックネームとして「ゴミじゃん…」が採用されたため、次回来店すると「ゴミじゃん…課長」になる。美人の店員さんに書かれるとすごくソワソワする。
最近美味しいのは、コンビニにおいてあったGRAND KIRINシリーズの「梟の森」というエールである。これが異様に美味しい。度数が7.5度くらいなのでそこそこ満足感もある。