当事者意識

今週やった仕事の1/3くらいが、自分の犯したミスのリカバリに使われている気がする。値がない!と慌てていたら違う設計書参照していたので一頻り走った後のメロスみたいな気持ちになって「アホなんですけどどうしたらいいですか?」って上司に聞いたら「深く考えろ」って言われて、やっぱかっこいいなこの人って思った。つらい。
深いかどうかは分からないけど考えてみるに、色々と注意力が足りてない。アホゆえに「注意力」とか言ってしまうので、もう少し具体的に考えてみる。あるドキュメントを編集しようとするときに、意識は文字の表面に行っているので、その値がどのような挙動を担保するのかといったイメージが出来ていないような気がする。結果として意味のない数字をポコーンと嵌め当てていたことに気付いて修正に手間がかかったりする。あと、効率化のつもりで「こういう編集の仕方すれば形式は一律だから楽じゃねえか?」と雑に考えた結果、個別的な内容について編集漏れが起きたりする。
同じような凡ミスに思えるけど、前者は後者と違って他人に説明しても理解してもらえないミスで、致命的だったりする。アホだと自称するのはハードルを下げつつ当事者意識を最小化するので気持ちは楽になるが、他人の心証に「こいつはアホだ」を植え付けてしまう。アホだと思われると物凄く手間が増えることを悲しいかな知っている。
誰も自分の問題は解決してくれないから、自分で解決しなくちゃならない。誰も助けてくれないから、目の前のことに愛情を注ぎたい。他人事じゃないのに、心から自分事と思えないことを、不幸と呼んでみる。