閉じている解

自然数の集合を考えた時に、ある要素二つの和は自然数の集合に含まれる。積も同様。引き算だと、a>bのときにb-a<0となるので、差は自然数の集合からは外れる。整数の集合に含まれることになる。集合論で言うと、自然数の集合と整数の集合は同じ密度(!)であるらしい。密度というのは、要するに要素の数が同じくらいあるということだ。自然数は0,1,2...整数は-2,-1,0,1,2...なのだから、直感的に整数のほうが倍大きい集合に思えるが、無限に発散する数列(幅1)は同じ密度として考えるそうだ。コンピュータは割り算が苦手だ。ある自然数の商を考えると、商の範囲は有理数になる。まともに計算すると2/3=0.66666...と循環して、PC上のビット数を超えて表現ができなくなる。なので、便宜的に「商は0,余りは2」と表現したり、そのPCの持つ二進数表現を正規化してなるべく多くの桁を表現したりすることで、近似値をとったりする。数は言語のひとつなので、こうした現象は日本語にも起こる(と思っている)。私たちは感受性という表現の幅を持っており、その閾値を超える言葉を持たない。現実をそのまま言葉にするというのは、どれだけ桁があっても、どれだけ言葉を尽くしても不可能だ(と思っている)。なのでしばしば、言葉の表現は別のものに置き換えられる。浮動小数点演算は、論文体のフォーマットに似ていると思う。ある字義が精密に意味を伝えるように、不確実な言葉を排してなるべく圧縮された形をとる。商と余りに分ける表現も、例え話に似ている。何割かの現実だけを担保して割り切る言葉、というのが、比喩の定義だ。閉じている解を出すのは比較的楽だけれど、閉じない解の表現を考えたりすると、言葉の豊かさを感じる機会に恵まれる。