理屈っぽいとは

犬っぽいとか猫っぽいとかは分かりやすい。それぞれ生き物としての習性や性格があって、それを元に人をカテゴライズする意味合いでの「〇〇っぽい」である。そうすると「理屈っぽい」とはなんだろう。そもそも理屈は形而上にあって、直喩として使う言葉ではない。誰かに対して「実数っぽい」とか「虚数っぽい」とか言う人はいないだろう。(一部の界隈を除いて)いっそのこと「話が論理的に整頓されていて逸脱することがない」とか、「コミュニケーションにあたって細部の矛盾にこだわりが強く本質的な会話ができない」とか、肯定的であるにしろないにしろ評価をはっきりさせてほしい。それらを煙に巻いて「理屈っぽい」と言われたら困ってしまう、という風に理屈っぽく考えてみる。理屈と膏薬はどこにでもつくという諺があるらしい。支離滅裂な主張でも、理屈っぽい言い回しで尤もらしく見えることがある。やたらとくっつきたがる人に対して「理屈っぽい」というのは正しい使い方のような気がする。お酒の席で喋っている。男子が2人、女子が3人。私の隣の女の子がデルス・ウザーラをこき下ろして笑っているので好感度が高い。時間が経つにつれて酔いが回り、ほとんど私にしなだれ掛かってくる。そんな時に「君は理屈っぽい」と伝えることになる。は?みたいなリアクションをされるが構わずに自分の理屈を伝える。「理屈と膏薬はどこにでもつく。君も酔うとすぐにどこにでもくっつきたがる。したがって、君は理屈っぽい」彼女は焦点がぼやけた目を下に向けて考えながら、渋滞の車がゆっくりと進むような話し方で言う。「理屈と膏薬がくっつくのは分かったよ。でも、どこにでもくっつくわけじゃない。私は薬のつもり。寂しい人のための薬」飼い猫が昨日死んでしまったことを彼女にだけ話していた。いつの間にか、他の友人は終電に追われて帰っていた。「理屈じゃ割り切れないこともあるよ。有理数ばかりじゃないもの。寂しいことも、悲しいことも、全部に理屈をつける必要なんてないんだ。傷ついた時には、膏薬を塗るんだよ」相も変わらずくっついてくる彼女が暑苦しかった。家で寛いでいると、よくこんな風にすり寄ってきたんだっけ。細くて柔らかい髪が首筋に触れた。猫っぽいな、と思った。