小さい人

目を移す瞬間に、二点間の映像を見ているわけではない。店員、旅客、すれ違う人とふと目があった時、頭の中にあるのは、相手の目と、目をそらした先の映像だ。動的にものを見ているのではない。静的な映像が頭の中にリフレインする。そのような瞬間は絶えず現れては記憶から薄れる。今日知らない誰かと目が合ったとして、誰が私のことを一生覚えているだろう。誰があなたのことを一生覚えていられるだろう。忘れる前に少し、脚色してみよう。あなたは、もう一生会うことのない人と、今日会うことになっている。どこで会うのかは分からない。それが誰なのかも分からない。背格好も、服装も、肌の色も分からない。分かっているのは、今日その人と目が合ったら、それきりだということ。もしかしたら、それは友人かもしれない。恋人かもしれない。家族かもしれない。目が合ったら、その人とはもう二度と会えなくなる。それでも、見たいと思うだろうか。私はきっとその人のことを必死に見つめるだろう。一人一人の顔を、大切に見つめるだろう。誰との別れなのかも分からないのなら、せめてじっと見つめて、記憶に留めようとする。それが例え見知らぬ他人でも、眉を顰められるくらいに、凝視するかもしれない。そうやって一日を過ごす。道行く人にさよならを言い続けて、口の中が乾いてくる。一体何人に別れを告げたのか、数えるのも億劫になるころ、ようやく家に帰って一人になる。シャワーを浴びて、唐突に動けなくなる。姿見の前で、私は私に別れを告げる。きっと今日の自分にも、二度と会えないのだから。夏はすっかり遠くなっていて、毛布一枚で夜を過ごすのがつらくなっていることに気が付いた。私は肩に腕を回して、小さい人を抱きしめる。