東京

ここ3日間ほど東京に居た。
なるべく節約するために、東京までの移動は深夜バス、滞在はネットカフェにした。
友達の家に転がり込むのも一つだったのだけど、急に連絡したらなんだか悪いなという気持ちと、一人で寝たいという気持ちと、色んな兼ね合いの中でネカフェの流民と相成った。
そんなに悪いものではなかった。シャワーがゆっくり浴びられない、寝床が狭いといったところだけが少し辛かった。同じような価格帯のカプセルホテルの方が寛げたかもしれない。

帰りのバスの中ではいささか不思議な体験をしたので、覚えているうちに書いておこう。
夜行バスは皆が乗り込んで出発した後、消灯となる。旅客はそれぞれ思い思いに自分の狭いスペースを最大限利用して寝るための最適な姿勢を探す。
僕も例にもれず、寝るための支度を整えていた。隣の男は僕から見て右側のひじ掛けを占領する。僕の左側にはひじ掛けがなく、その男の右側にはひじ掛けがあるのだから、それは僕のひじ掛けだろうと主張したくなった。旅は6時間ある。そこに肘を置けることはかなり大きいのだ。しかしまあ「あんたはそっちを使ってくれよ」と声を掛けたところで、その後の旅は注意した側とされた側とで、なんとなしの緊張感に包まれることになる。それは本望ではなかったので、僕はその男が寝入った後で小刻みにエルボーを繰り出し、こっそり領地を奪い返すことに成功した。
そんな風にして楽な姿勢をとること数十分で、ようやく眠気がやってきた。バスの中で寝るのは意外と集中力がいる。うつらうつらとしながら、僕は次の休憩の場所が気になった。バスの前方にある時計を見ようとすると、おっさんと目が合った。おっさんは、バス座席の上にある荷台からぬっと顔を出して、僕を見下ろしていた。
その瞬間はまるで声が出なかった。何かの見間違いかと思ったが、おっさんはそこにいる。狭い荷台から頭だけを柳のようにだらんと垂らして、こちらを見ている。眉には皺が寄っていて、近眼の者が遠くのものを見ようとするときの、睨みつけるような表情だった。いったい僕が何をしたというのだ。というか、いつからそこにいるんだ。時計が見えない。
おっさんは微動だにせず僕のことをじっと見ていた。こういう怖い話によくある「目が全く離せない」というような現象は起こらなかった。むしろずっと見つめ合っているのが気まずくて、時折視線を切るのだが、次の瞬間には消えていてくれないかなと期待してもう一度目をやると、まだそこにおっさんの顔があるのだ。せめてこっちを向いていなかったら気にならないのに。しかめっ面の睨むような表情をやめてくれれば穏やかな気持ちでいられるのに。目線を切ってはまたチラ見をするというのを繰り返していたら、隣の男と目が合った。彼は右肘で頬杖をついていた。体は正面を向いて座っているのに、顔だけが90度ぐるりとこちらを見ており、その目は睨むように細かった。おっさんと全く同じ表情だ。
ドキリとして、もうその場に居られないと思った。降ろしてほしい。さすがに怖すぎる。マナー違反とは思いつつ、携帯で現在地を調べると、群馬県の沼田あたりだった。時間は2時36分。あと3時間半もバスに乗っていないといけない。
またチラ見をすると、2人(?)ともが僕を睨んでいる。気になって寝られない。と、そこでバスのアメニティの中にアイマスクがあることに気づいて、着けることにした。何も見なくて済む。けれど、バスの乗客全員がこちらに顔を向けて睨みつけているのではないかと僕には思えた。

いつの間にか目的の新潟に到着していた。隣に乗っていた男は既に降りていた。おっさんもいない。
さっきのはなんだったんだろう。どうにも不思議だった。夢かもしれないけれど、夢だったらアイマスクを着けてさっきまで寝ていたのも変だ。
夜行バスに乗った時、おっさんに睨まれた人いますか?荷台から。