Climb The Mind 「ほぞ」

今年の7月くらいに出会ったバンドなのだけど、音源がなかなか手に入らなくて困っていた。Amazonなどで中古出品している業者は居るのだけど、プレミアがついてなかなかの値段。手が出ない。今も「よく晴れた朝は地下を探索しに出かけよう」は9800円もする。なんとか再生産してどこかに卸してくれれば、と思ってしまう。そんな中で幸運にも「ほぞ」を安く譲ってくれる方を見つけて、アルバムを買い取ることができた。

どうにも一聴した時から大好きになってしまった。好きな音楽というのは、10代の頃に大体の傾向が決まって、生涯あまり変わらないんじゃないかと思っていた。青年期の鬱屈した感情、というとカッコつけすぎだろうか?昔の、よく分らんコンプレックスとかで一杯だった時期。自分と環境の折り合いがつかなくて、どうすればいいのか途方に暮れていた頃に、寄り添ってくれる音楽は貴重だった。そんな風に歌ってくれる人が居るんだと、この人も自分と同じ時間を過ごしていたんだと、分かるだけで嬉しかった。

誰もそんな感情があったことを教えてくれなかった。そりゃそうです。昔の恥ずかしい気持ちのことを、胸襟開いて語ってくれる人なんてそうそう居ない。寂しい時に寄り添ってくれる人をつい恋人に選ぶように、10代の音楽よりも好きなものなんて現れない、と思っていた。多分、それは思い込みだった。

多分としか言えないのは、時間が語らせることがあまりに多すぎるからだ。「ほぞ」というアルバムを聴いて、そう思った。自分の中で、10代の頃のように熱中して聴くようなバンドが出てきてしまった。そんな気持ちがこれから30代、40代になっても現れるかもしれない。それは誰も教えてくれない。それとも、昔聴いていた音楽をいつか嫌いになってしまうのかもしれない。なってみないと分からない。親にならないと、子どもを持つ気持ちは分からない。大人に子どもの気持ちは分からない。僕が母親になれないのと同じように、僕は現在形の30代にはなれない。そして、30代の僕は20代になれない。

アルバムの表題でもある「ほぞ」という曲が収録されている。身なりの汚い旅客は、宿を追い出されてしまう。おそらく金を払えなかったのだろう。女将から出て行けと言われて、仕方なしに宿を出る。雨がざあざあ降っているが、旅客の心臓は激しく鼓動を打っている。「こんな身なりだもの、仕方ないさ」とひとりごちる。それから、当てもなく歩いて、歩いて、歩いた先で行き倒れる。身体は冷たくなって、旅客は死ぬことを悟っている。死体は朽ちて土に還る。その前に、旅客は思いを馳せる。あの宿の女将と話したかった。あなたの息子ですと言いたかった。ずっと一目見たかった。知ってほしかった。ここにある私の、臍を。

切ない断絶の歌だ。へその緒は断ち切られても、あなたと私が繋がっていた証が「ほぞ」だ。

昨日の自分と今日の自分は、同じだろうか?恐らくほんの少しは違うだろう。考え方も、細胞の数も、体重も。10年後の自分と、今の自分はどのくらい違うのだろうか。そこで何かが繋がっていないと、繋がっていた証がないと、安心して死ぬことが出来ないんじゃないだろうか。

だから、10年後もこのバンドを好きでいたい。