昭和元禄落語心中を読んだ

 落語漫画っていうと、なかなか他の作品に思い当たらない。寡聞につき。与太郎編から八雲編のストーリーは何回読んでも本当に染みるものがあります。10巻で完結なのでほどよいボリューム感で通読できます。最終巻末に載せられている参考文献の数が物凄いこと。こんな風に一つのことを掘り下げて、噛み砕いて、漫画にして、読んで楽しいってとんでもないです。古語としての「おそろし」の意味を学校で習ったものですが、それがこのように腑に落ちて実感できるような経験も貴重です。
 作中にはみよ吉という因縁の女が出てきます。「ティファニーで朝食を」のホリーとか、「こころ」のお嬢さんとか、なんかそこらへんのイメージがちらつきます。アニメ化もされていて、みよ吉の声を当ててるのが林原めぐみさん。椎名林檎の作った唄を歌っていますが、嵌り過ぎててこちらも「おそろし」です。他の声優も往年の名優で、各々それ以外考えられない声になってます。
 悲しい話というのは商業的には疑問符がつくこともあるらしいです。みんなハッピーエンドが好きらしいです。落語心中がハッピーエンドかどうかはさておくとしても、話の中で「これは許せない」というものが幾つも出てきます。こういう形もあったはずなのに、どうしてそうなってしまったの?というようなことです。
 グラン・トリノを許せるでしょうか?それでも僕はやってない、と言えるでしょうか?作品の中にどうしても消化しきれないどろっとしたものがあったら、違和感としてずっとストレスになります。それを「考えさせてくれる作品」と一気呼称して考えるのをやめてしまうなんてことが僕にはよくあります。
 また今度ねと約束したきりその今度がずっと来なかったり、昨日決めたルールでさえ今日には守れなかったり。今こうして考えていることも3日後にはどうでもよくなっていることでしょう。
みよ吉みたいなのが居るとある意味幸せです。ずーっと考えていられます。なんであんなことになったんだろう?その時点で時間軸に黒い点が一つ打たれます。その点は首輪につながった鎖を留めておくための楔みたいなものです。その周りをぐるぐる回ることは出来ても、終ぞ自分がその楔を引き抜くことはできません。しかしまた、忘れることが出来ない黒い点があるからこそ、そこに掴まって、流されずに済んだりします。

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