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嫌いな態度に関する取り留めのない話

エピソードが二つある。
一つは韓国人留学生との交歓パーティに出た時の話だ。その場は楽しく盛り上がり、韓国料理を美味しくいただき、最後に記念撮影をした。写真を現像してプレゼントしたいので、これこれの日時にこれこれの駅に来てくれとお願いされ、言われるがまま当日待ち合わせ場所に着くと、その場から車に乗せられて韓国系キリスト教会に連れて行かれた。ミサのようなものに参加して、その場に居た信教者に囲まれながらゴスペルを歌った。歌いたくなかったら歌わなくても大丈夫ということは神父から伝えられてはいたけれども、歌詞カードまで渡されてはなんだか申し訳ないし、特に信仰があるわけでもないので歌っていた。しかしまあ3曲目くらいになってさすがにお腹いっぱいになり、写真を渡してくれる気配もないので帰ることにした。僕がその場から退出すると、神父が追いかけてきて、なにか気に入らないことでもあっただろうかと聞いてきた。僕はさっきまで見ていた歌詞のことを話した。神様がいるのだから、生まれてきたことに意味のない人間なんていないから元気だしてこうぜ、神様ありがとうみたいな歌詞だった。僕は、水子のことを考えた。生まれることすらできなかった赤ん坊の命にいったい神様はどんな意味を持たせたのだろうと思った。そう神父に伝えると、神様がいるのだからなんらかの意味はあるはずで、私たちも悩みながらそうした命について考えているのだと彼は話した。そういう理解の仕方があり、考え方があるのだと僕は思った。教会を出ると、陽射しが照っていて暑かった。車でやってきた道のりを長いこと帰り歩いた。
二つ目は、とある人と話が弾んで、どこかで一緒にご飯でもという話になったときのこと。日頃からなかなか敷居が高い、というか値段が高い食事処の名前を挙げると、じゃあ奢ってあげるよと言われ喜び勇んでついていった。案の定、食事も半ばというところで日蓮宗功徳を積もうというお誘いを受けた。信仰に興味はあった。その人も最初は宗教を信じる心は持ち合わせていなかったが、お祈りをすると心が晴れ晴れとして、それ以来ずっと続けているのだという。日蓮の教えでは、他の教えは間違った教えであり、邪教は淘汰されねばならないという。確かに大部分の戦争・紛争は宗教に依るもので、日蓮の教えでみんなまとまったらという無理な仮定を立てれば、世界は大変平和になる。僕が宗教を興すのだったらそういう前提で教えるかもしれない。その人は、信仰のない今の僕もいつか日蓮の教えに気付く時が来ると言った。ご飯を食べ終えて、自宅まで車で送ってもらった。こんなに親切にされていいものだろうか、罰当たりではないだろうかと少し思った。
基本的になにかを頭から信じるのが苦手だ。でも地球が丸いところを見たことがないからといって実は平らだと主張することもない。みんながそう言うのだからそうなんだろうと思う。だから、もし周りに〇〇神を信じている人ばっかりだったら、僕は〇〇神を頭から信じこむだろう。自分をその程度に見るくらいには、色々なものを疑うのが好きというか、そういう傾向にある。宗教を引き合いに出して書いてきたが、これは宗教観の話ではない。流行もそうだ。小学生のころ、あるお笑い芸人がブームになっていた。僕はそれを心の底から面白いとは思わなかったが、友達はみんなその芸人のネタを繰り返してはゲラゲラ笑っていた。僕もゲラゲラ笑った。そうしないとおかしいのだと思っていたらしい。中学生のころ、初めて人から告白された。付き合ってくれと言われて、具体的にそれがなにを指すのかが分からなかった。一緒に登下校する、手紙のやり取りをする、という行為をすることを、付き合うという言葉を使って契約したのだった。恋人同士でないとやらないことをするためだったけれど、別に付き合わなくても良かったのだ。登下校は恥ずかしいし、手紙も少し面倒だった。でも彼女はそれを強く求めていた。上手くいくとかいかないとか、そんなことのずっと前で破綻していた。
ある物事について語る人がいる。〇〇はやっぱりだめだ、☓☓が最高だと語っている。勿論そうでない人もいる。そうでない人に☓☓を勧めようとする。最小単位の布教ということになる。☓☓がよいという根拠はどこにもない。キリストに正当性はなく、日蓮に正当性があるという根拠もどこにもない。水子の命に意味があるなんて根拠はどこにもない。根拠はそもそも居るだろうか?なにかを信じるには、信じることを担保するだけの根拠がなければならないのだろうか?こだわりという言葉に置き換えても問題ないように思う。こだわりに根拠はいらない。コーヒーは必ずブラック。煙草はハイライト。こだわりはあっていい。しかし信教の自由があるように、こだわりの自由もある。こだわりを人に強制してはならない。それが僕の嫌いな態度だ。そんなこだわりを持っている。