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煙草とかお酒って貧しい趣味でしょ?って言われた時の反論

 明けましておめでとうございます。みなさん元気に年を越せていますでしょうか。僕は新年早々飲み過ぎて、苦痛でいっぱいの元日を過ごしていました。一年の計は元旦にありと言いますので、本当に気をつけたいなと思っております。
 そんなお酒の話を書こうかと思います。煙草もその含みで触れます。と言うのも、僕が去年女の子と(男か女かは関係ないのですが、なんか女の子と飲んでますよって言うとちょっと自尊心みたいなのがくすぐられるんですよ非モテ男にとっては。女子と飲みというのは須らく尊く貴重な経験でありまして)お酒をグビグビ煙草をスパスパやっとる時にこう言われたわけです。「煙草とかお酒って貧しい趣味でしょ?」と。
 その時にはまあ、禁酒法なんてものが施行された時期がアメリカにはありまして、その結果社会が云々とかは物申さず「そうだよね~、酒も煙草も安易な楽しみだよね~」と答えていたのですが、どうもその子の言う「貧しい」の意味はちょっと違うようです。その主張を簡潔に表現するなら「酒や煙草といった趣味は、アルコールやニコチンといった物質的な快楽に依るもので、趣味として貧しい。スポーツなどの肉体的精神的に向上のある趣味でないと、豊かとは言えないのだ」とのことでした。
 なるほど確かに、酒や煙草には依存が認められています。それは科学的に説明のついている事実で、そういうものに取り憑かれていることは貧しいのだとこの子は言いたいのであろうと解釈しました。酒代煙草代にはそれぞれ税が掛かっていますし、二重の意味で貧しいでしょう。しかしまあ、スポーツについて反論するのであれば、身体を動かすことによってアドレナリンなどの快楽物質の分泌に喜びを覚えているのかもしれないと言うこともできます。身体を動かすことそれ自体が楽しいのだといくら主張しても、それは煙草を吸うことそれ自体が楽しいのだと主張するのと同じ意味合いで自家撞着ではないでしょうか。(無論、ニコチン依存とアドレナリン依存とには天と地ほどの強さの差があるとしても)何が物質的な喜びで、何が肉体的精神的喜びで、そのどちらがより裕福で、あるいは貧乏なのかと断じづらい、少しばかり混沌とした感覚で私たちは悦びを感じていると思うのです。
 誰かと一緒のお酒のほうが、ひとり酒より美味いというのは、ごく当たり前のことです。酔っ払いながら誰かと話すのは、より本音が出やすく面白いですよね。お酒には物質的というよりは、もっと精神的な楽しみがあるのではないかと思います。どの煙草が美味しく、どの煙草が不味いというのを逐一検分して、自分がよりよいと思う煙草を見つける楽しみは、どの冬山が滑りやすく楽しいだとか、どの海が泳ぐのに好適かという研究に通じる楽しみがあるのではないでしょうか。それらを物質的に快楽が得られてしまうからという論法で断じてしまうのは、些か楽しみを切り捨ててしまっているようで、僕には勿体無く思えるのです。
 勿論、そういった楽しみは人それぞれであって、煙草や酒に全く楽しみを覚えない人も、スポーツに全く楽しみを覚えない人もいるのです。だから、趣味として貧しいという言葉はそのそれぞれの楽しみを非難するのであって、イーブンではないと、こう僕は言いたいのです。あ、でも僕の身体を案じて彼女はそう言ってくれたのかもしれませんね。それはそれで嬉しいっすわ。あざす。では、今年もよい一年になりますよう心からお祈りしています。