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村上春樹風に一年間を振り返る

1月が誰にとってもそうであるように、僕にとっても真新しい1年の始まりだった。クリーニングに出した白いシャツが返ってきたときの匂いがする、新品の季節だった。またそれを着て、今よりもずっと汚れた頃に、クリーニングに出すのだろう。そんな繰り返しを想像して、僕はひどく落ち着かなくなった。
2月は気付かないうちに、いつのまにか通り過ぎていった。雑踏の中で見知らぬ人々が僕に注意を払わないように、僕もまた彼らに目を向けることなく、ただ俯いて歩いていたように思う。しかし時折、僕を呼ぶ声が聞こえる気がして、立ち止まってあたりを見回すのだけれど、誰の姿も見つからない。また歩き出そうとした頃には、僕は行き先を忘れてしまっていた。
3月はいたってシンプルな生活を送った。朝起きてインスタント・コーヒーを淹れたあと、ハムとチーズのサンドを食べて、家と大学を往復する。やり残したこと、やるべきこと、やりたいことにそれぞれ時間を割り振った後は、シャワーを浴びてベッドに入る。単調であってもリズムが生まれたことは、僕を少しだけ楽にした。
4月を好ましく思う人の中に、僕が親しみをこめて友人と呼べる人はいない。季節の急激な変化や馴染むべき新しい環境が毎年のようにやってきて、生きるためのなにかを乱暴に削りとってしまう。やれやれ。その粗暴さに鈍感な明るい顔を大学で見るにつけて、僕はいたたまれなくなる。彼らのような人々が当たり前のように元気でいることが、なにか僕にとっての不幸だと思えることも少なくなかった。
6月についていろいろなことが書けても、5月についてはなにも書けない場合がある。2013年の5月の大半は語るべきことのない日が繰り返された。そうは言っても、語るべきことなんてそもそもないのかもしれない。自分にとってかけがえのない記憶が、他人にとっては取るに足らない瑣末な出来事であるなんてことは、控えめに言ってもありふれている。
6月は誕生日があって、プレゼントとしてカホンなどもらったりしてホントに嬉しかったです。ありがとうございます。
7月も半ばにさしかかった頃、期末試験の足音が聞こえてきた。深海の底から低く轟いてくるような冷たい足音だ。鼓膜を揺らすその音は、なにか確信的な響きをもって僕を問い詰めてた。頭蓋のなかで反響し続けていた足音は、やがてゆっくりと消えていった。あとに残ったのは、頭の鈍い痛みと、数えるのに時間をあまり必要としないほどの認定単位だった。
8月に対しては、それほど思い出を多く持たなかった。学校のない休暇を、僕はアルバイトに費やした。労働に見合うだけの対価を得てから、すぐにそれを別のものに費やした。給与は細分化されたバトンとして、僕の手元から多くの人々へ渡されていった。必ず渡さなければいけないバトンをどうして受け取ろうとするのだろうと考えながら、僕はアメリカン・スピリットを吸った息を吐き出し、抱えている疑問を煙にまいた。
9月の残暑の中、スーツを着て古い街を歩きながらプレゼントを探した。他人を喜ばせるのがひどく不得意で、悩んだ末に花束を選んだ。渡したあとはすぐに萎れてしまったけれど、そのときにそれを渡せたことが、僕が確信して幸せと呼べる数少ない経験のうちの一つだった。
10月になってから、さまざまなリズムが崩れ始めた。ディミニッシュともオーギュメントとも判別の付かない、気味の悪い不協和音が、小さな音で鳴り始めていた。それが致命的なアンサンブルに成長するまで、僕は知らず知らずのうちに、腐臭のする肥料を撒き続けていた。
11月をどうやって語ろうと悩むことは、僕にとって大事な過程だった。悩んだところで、結局はなにも書けずに終わってしまうだろうということは、うすうす気がついていた。それでもなにかを書こうとすること、それ自体に効用があるのだと、僕はそう思い込むことでしか救われないのかもしれない。
12月は、ある角度から見ればとても有意義で楽しい月であったのと同時に、ある角度から見ればとても後悔の残る月だった。光をあてる角度によって、まるで違った光になってしまうプリズムとよく似ている。時間が解決する問題かどうかは、とても怪しいところだ。この世で最も優れた理論ですら、光は時間を超えると説いている。


※これらはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。