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人と繋がることについて

人付き合いってとても救われることがある反面、コストがかかったりもするなあと思ったので、そのことについて思うところをつらつらと書こうと思います。
いま僕がどこにいるかというと、東京都江東区の豊洲です。と言っても、この地名で「ああ、あそこね」と分かる人がどのくらいいるんでしょう。田舎者なんで僕にはわかりません。
東京へ一人で来るには、大抵深夜バスや夜行列車などを利用するので、朝方に到着することが多いです。新幹線に乗った方が時間も体力もローコストで済むんですが。早朝の駅には地方では考えられないくらい人が沢山いてとても新鮮で、面白かったりもします。
朝5時とかに到着すると、だいたいのお店はやってないので、マックやネカフェなど24時間営業のところに駆け込んで暇を潰します。朝っぱらからパソコンに向かったりして、多少自分でも不健全な過ごし方かなあと思いますが、なぜか解放感があって楽しいもんです。なんでだろうなって考えると「知り合いが誰もいない土地で一人、好き勝手している」のが、一番の理由だなあと。
知らない場所で一人が楽しいってことは、逆説的に知ってる土地で皆に囲まれてることに、僕が無意識的に息苦しさを感じているということかもしれないーーーーとまでは考えませんが、地域的な接続感や人との繋がりに疲れるタイプなのか自分は?と疑ってみたりしました。
親しい人に悩みを聞いてもらったり、馬鹿話をして楽しい時間を過ごしたりと、人付き合いのあることは間違いなく素晴らしいと思います。その反面で、相手の愚痴に付き合ったり、仲間内での諍いに巻き込まれたりと、マイナスもあるはずです。本当に親しい間柄でそのようなことが起きた場合には、僕はほとんどストレスを感じずに対処できます。でも、同時に一人の解放感はあるわけで、じゃあこの感覚はどこから来るのかと鋭く自問してみると、他人との接続だけでも、維持電力みたいなものか消費されているんじゃないかなあと。
その接続感というのを上手く説明するのは、感覚的な話で難しいところがあります。最近言われてるSNS疲れに似た感じでしょうか。言いたいことはもちろん、僕と繋がっている人の消費電力が激しいということではありません。ただ、僕の持っているチャンネルがあまりにも少なすぎて、すぐに蛸足配線になってしまうということです。友人知人の問題ではなく、僕の問題というわけです。バンドやっている身としては、そこらへんは精力的でありたいと思います。切実。
皆さんから電力をもらう経験も沢山あります。本当にありがたいことです。一人からもらい過ぎたりしていると、その配線がブツっと切れたときに、どうしようもなくなったり。そんなのも一つの経験かもしれませんね。
結論としては、円安政策とりながら化石燃料が原因の貿易赤字を生み出し原発再稼働を世論の主流にしようなんて魂胆には僕は賛同しませんよということです。