2013/06/09時間を潰す話

 「件のバイトなのですが、②から①に移っていただくか、③から④に移っていただきたい」「①のみでしたら変更可なのですが」「分かりました。申し訳ありませんが①のみお願いします」そんなやり取りをして、昨日は①のバイト、そして今日は③のバイトだ!と意気込んで始発に乗った。そしたら誰も集合場所にいない。これはおかしいと思って先方に連絡すると「君は③の仕事には入ってないよ」とのこと。ここでようやく誤読に気が付いた。「①のみお願いします」とはつまり、「④に移ってくれないなら、君が入るのは①だけになるよ」という意味だった。僕はてっきり「①のみ変更でお願いします」の意味だと思い、5時48分の新潟駅に降り立ってしまった。さてこれから一日どうしたものかなと考える。早朝でお店の一つも空いていなかったので、新潟駅周辺をゾンビのように徘徊した。
 7時頃になると、駅の中の喫茶店があいた。とりあえずはそこに滑りこんで、時間を潰すことにした。偶然にも今朝、暇と退屈の倫理学という本を通読したばかりだったので、このような事態に対応するための哲学は頭のなかにあった。人間は、動物的になることを待ち構えながら、人間的であることを楽しむことができれば、退屈から逃れることができる。らしい。動物的に一つのことに興味を持ち思考するチャンスを逃さなければよく、また人間的に余暇を楽しむための浪費を行なっていけばよい、ということだ。しかしまあ、朝の喫茶店に興味を惹くような事物は転がってはいないし、浪費を楽しむだけの金銭的余裕もない。とりあえず、ウォークマンでひたすら曲を聴いて覚えることにした。大体三時間くらいかけて、3曲を覚えることができた。しかしそこで限界がきた。椅子に坐っているだけで疲れてきた。その頃には10時を過ぎていたので、デパート街に出向いてみることにした。
 時間を潰しながらも、その時間をなるべく有益なものにしたいという矛盾した思いがあった。それを解消するには、本を買って読むのが最も適切に思えた。紀伊國屋書店をぶらぶらしながら、読みたい本を探していると、前から買いたいと思っていたのが幾つか見つかった。「ご冗談でしょう、ファインマンさん」の上巻と「銃・病原菌・鉄」の上下巻を購入した。
 前者はやや砕けた本で、ノーベル賞物理学者のファインマンの自伝だ。好奇心旺盛で、とことん物事をやり抜かないと気が済まないファインマンの人物像が軽妙に描かれている。特に面白かったエピソードは、ファインマンの馴染みのレストランでの話だ。顔見知りの店員をちょっとからかってやろうとしたファインマンは、水をたっぷり入れたコップにチップのコインを落とし、カードで蓋をする。そしてそれをそのまま逆さにしてテーブルに置くと、カードを素早く引きぬく。これと同じことをもう一度して、2個の逆さまのコップがテーブルの上に置かれる。ファインマンは店員に、チップを取るときには十分注意するよう忠告して店を後にする。後日、ファインマンが再び店に訪れると、顔見知りの店員は大層立腹している。他の店員がファインマンに耳打ちする。店が忙しいときにあなたがイタズラをするから、テーブルと床がびしょ濡れになるし、あの子は大変な目にあったのよ。ファインマンはそれに答えて言う。なに、簡単な方法があるじゃないか。深めのお皿をテーブルの端に寄せるようにして、そこにコップの水をすべて注いでやれば、床が濡れなくて済むだろう。なるほど、と頷いた店員は、これからファインマンさんがイタズラをしたときはそうするようにあの子に言っておくから、とファインマンに話す。それを聞いたファインマンは満足して、その日もマグカップを逆さにしてテーブルに置き、店を後にした。さらに後日、ファインマンが店を訪れると、顔見知りの店員がカンカンになってファインマンを睨みつける。ファインマンは言う。今度は床を濡らさなかったかい?店員は答える。ええ、あなたが水なんか注いでなかったお陰でね!
 そんな感じで6時間くらい読書してライブ見て晩御飯食べて寝る日でした。楽しかった。