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2013/06/03身体の話

 身体って非効率的だなあと思った。僕には出かける30分前にシャワーを浴びる習慣がある。夜寝る前にシャワーを浴びても寝汗をかいてしまうことがあるから、朝出かける前に必ず顔と頭と身体を洗う。すると出かけるために1時間とか、あるいはそれ以上かかってしまう。シャワーを浴びる手間がなければいいのにと思うけれども、目垢を付けて、寝ぐせははね放題、少し汗ばんだ身体で出かけるのは、やっぱり気にしてしまう。
 それと同じように思考を展開していくと、身体の面倒くささが色々浮かんでくる。ご飯を一日三回も食べないと元気が出ないなんて非効率的だ。一日六時間寝ないと頭がすっきりしないなんて非効率的だ。わざわざ足を動かして大学まで身体を運ばないと授業が受けられないなんて非効率的だ。だから僕は、ご飯を食べなくても済んで、寝なくてもよくて、大学まで意識が飛んで授業だけ受けられるのがいいと思っている。しかし、この想像はあまりにも空想的だ。結局のところ生き物である限り身体からは逃れられない。風邪をひいたら動けなくなってしまうし、足がなくなったら歩けない。僕らは健康である限り身体について無頓着であるが、一度風邪をひいた途端に身体の重さを実感することになる。
 家という場の機能を見直すと、いかに家が身体のためにある場なのかがよく分かる。身体は食事を摂らないと維持できない。したがって家には食事を作る場が必要だ。そうしてキッチンが作られる。身体が汚れると不快である。したがって家には身体を洗う場が必要だ。そうしてバスルームが作られる。身体を覆う衣類が汚れると不快である。したがって家には衣類を清潔にする場が必要だ。そうして洗濯機が導入され、物干し台が設置される。身体は睡眠をとらないと維持できない。したがって家には寝るための場が必要だ。したがってベットルームが作られる。
 このように生活を見ていくと、身体の維持のために莫大なコストがかかることが分かってくる。僕らがお金を一番使っているのは、間違いなく身体の維持だ。睡眠には時間もかかる。一日六時間寝る人は一生のうち1/4を睡眠にあてている。お金も時間もかけて、僕らは身体の維持に躍起になっている。それでも病気になってしまったら、医者にかかってお金を払うことになる。このように身体を金銭的コストの面で見ると、非常に非効率的になる。
 一方で身体はお金にもなりうる。労働力の基盤となる資本は身体である。また一方で、身体を金銭に還元することの他に、考え無くてはならない「身体の訴え」や「損失」が存在する。内田樹さんが先日更新したブログに、セックスワーカーを取り巻く主義主張が網羅的に書かれていたので、参考。