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2013/05/23話す話

 なかなか人前で話すのが得意にならない。学校の授業とかでテキストをレジュメにまとめて話す機会があるが、そういう場では身につかないこともあるんじゃないかなと思った。レジュメにまとめた内容というのは、そもそも論理的に整頓されたテキストの要約だから、話すときには自然と筋が通るような構成になる。そしてなにより話すべき内容が予め用意されているから、なにを話せばよいかと迷うことがない。
 それに比べると、ただなんとなく人前で(多数の聴衆にむけて)自分の考えや意見を述べるのは難しい。まず自分の考えがある程度はっきりしていなければ、意見を述べている最中に立場がふらふらと入れ替わったりして、聞いてる側からすると「この人ってなにが言いたいのだろう」と思われがちだ。あるいは、自分の意見がそもそも一般論の範疇を出なくて、意見として足りていないときに、なにを話すべきかという内容の面で困ってしまう。僕が苦手なのは、文末だ。基本的に文語体ではセンテンスを書いた後に「~である」とか「~する」という言い切りの定形が用意されており、そのセンテンスの内容に応じて「これは推測の文だから、文末は~であろうにしよう」とか「可能なことを述べているから、文末では~できると結ぼう」と考えて書くことができる。(「できる」)しかし、口語ではなかなかうまくいかない。自分が話している内容が、推論でしかないのか、事実なのか、その言い切り方が本当に正しいのか、ということに迷いが生じて、「~である、ということが分かるかと思います」のような、なんともあやふやな言い方になってしまう。日本語で結構重要なのがこの文末なのだなあと、迷いながら実感する。
 こうしてつらつらと文章を書くのはすごく楽なのに、話すとなると結構な労力がいる。一方で、学校の先生には逆に、書く労力のほうが大きそうな人がいる。ぺらぺらと話すスピードがとても早く、筋が通っていて、なおかつ冗談まで時折織り交ぜながら話す先生には感心させられる。文系の先生には結構いて、理系のそういう先生にはあんまりいない印象だけど。