2013/05/12問題の話

 僕がこれまで勉強してきたのはなんだったのかと振り返って大雑把に言い切ると、問題とはなにか、ということに尽きるような気がした。
 小学生の頃には、問題を理解するための基礎的な知識を学んだ。沖縄県の基地問題を考えるには、沖縄の歴史を知らなくてはならない。問題が日本語で書かれていたら、その文章を理解する必要があるから、漢字が読めなければいけない、あるいは熟語を知らなくてはいけない。数を扱うにはまず四則演算がしっかりしなくてはいけない。つまりこれらのことは問題以前だったように思う。
 中学生の頃には、小学校と同じような内容を学んでいた。小学校でならったことよりも、少し複雑で細かいことだ。高校生になると、問題を実践的に解くようになったと思う。例えば世界史を取っていたときに、実際に覚えた知識を使って、グーテンベルクの発明がもたらした宗教的意義だとか、孤立主義の正の側面・負の側面だとか、そういう論述形式の問題を解くことがあった。与えられた問いに対して、知識を使って論理を構成し、それを指定の文字数に収めるという作業をこなすわけだ。このような性質の問題は、中学以前にはなかった問題だ。
 大学に入ると、今度は問題の立て方を勉強するようになった。論文やレポートなどで、自分が知識を学ぶ上で見つけた問題に対して仮説を立て、データを集め、論証するという過程が出てくる。そこに至ってようやく学問的な活動となる。学問的とはつまり発見的かつ客観的であることだ。誰も知らなかったようなことを見つけて、その発見を証明・補強するデータを挙げて論じる。代数で考えれば、仮説という変数に対して、ある数値(データ)を入力したときに、必ず特定の答えに定まるということだ。
 そして次に学ばなければいけないことは、問題の前に答えがあるという事実だと思う。幸せは人それぞれだが、誰だって基本的に幸せに生きたいと思っている。それが答えであって、じゃあどんな問題を解いたらその答えに行き着くのか?という問いこそが、僕にとってこれから必要になってくるんじゃないかと考えた。これを言い換えると問題の逆算だ。10年後どうなっていたいかというのがはっきりすれば、目標になる。それからその目標のための行動(問題の逆算)に取り組めばいい。そうしなくちゃなあと考えたけど、目先の問題が多くて困ってる現状に、ポイズン。