新しいPC

混乱するとさっと血の気が引いて顔が青くなる。PCもまたそういうものらしい。先日flashプレイヤーのクラッシュとともに、画面が真っ青になって強制終了した。思えば七年目のノートパソコンだ。バッテリーは弱り切って、常に電源接続がないと使えない半デスクトップ仕様と化した老体である。「HDDに問題があるのでメーカに問い合わせてください」というメッセージが出ても見て見ぬふりをしてきた。このまま本格的にぽしゃるまで使ってもよいなと考えていたある日、古びたノートパソコンをサーバ代わりにしてたら火が出たという記事を読んで、いささか不安になった。論理的に壊れるより先に、物理的に壊れてしまったら?例えば、バッテリーが夏の暑さでオーバーヒートして爆発したら?考えるだけでも顔が青くなりそうなので、PCの購入を本格的に考えることにした。
しかし選び方が分からない。買い物にはうまい下手がある。よく金の勘定の少ないほうを賢い買い物と呼ぶが、あれは普通の買い物である。わざわざ高いもの買う理由もないのに、ただコストを抑えた買い物を「賢い」とまで言えるだろうか(いや、言えない)。そうした買い物も、相場観がある程度必要になる。コンビニよりスーパーのほうが安い、特定の商品は特定の曜日に安い、特定の時間に安い。いずれの判断も、普通の値段を知っていないとできない。そういう買い物は、回数を重ねて初めて慣れてうまくなる。けれども、PCはこれまで一度も買ったことがない。正確に言うと、一度もまともに考えて買ったことはない。大学に入りたての頃、一度買ったきり。唯一知っていた情報は、生協のPC販売は物凄いぼったくりということだけだった。ろくすっぽ調べないままヤマダ電機の店員さんに進められるがままに買ったノートパソコンは使い勝手がよくて、玉置浩二の顔が書かれたUSBメモリがついてきた。その六年後の一月、僕はそのノートパソコンで泣きながら卒論を書き、玉置浩二の笑顔を握りしめて卒論提出に向かうことになったのだった。こう書くと少しばかり人生の伏線を回収しているようで楽しい。それはまた別のお話。閑話休題。人生で初めてのことが上手くいくはずがない。まして買い物という高等作業ならなおさらである。
PCはいろいろな売り方をされている。本体代金とは別のものをサービスとして受けると安くなるとか、そもそも買わないでリースとして扱うとか。デスクトップもあれば、ノートパソコンだってあるし、タワー型とかスリム型とか一般用語なのかもよくわからない区分で売られていたりする。今回はデスクトップパソコンにすることにした。理由としては、すでに買っているPCデスクに、いかにも使いたくなるラックがついているからである。