亡くなった人のこと

覚え書きにしておきたいと思い立ちました。眠れない夜の手慰みみたいなものです。2017年の2月に母方の祖父が亡くなりました。それから、4か月以上経ちました。言葉にすると短い期間にも思えますが、感覚としてはもう元から居なかったような感じです。いくら情が薄いとは言っても、自分が嫌になってくるので、そういうのを否定したくて、書いているところもあるのかもしれません。
祖父は、と書き出そうとしましたがじっと考えてしまいました。むしろ、ぢっとという綴りの方がしっくりきます。啄木ライクな思いの巡らせ方です。祖父は、優しい人でした。怒ったところは見たことがありません。いつもにこやかでした。祖父の妹にあたる方も(大伯母さんとか呼ぶんだろうか)、お葬式で同じことを仰っていました。友人の冴えない恋人を褒めるとき、「優しそうな人だね」と差し障りのない表現でお茶というお茶を濁したりするものですが、祖父に至っては、そうではなくて、優しい人だったのです。こんな風に伝えても、三分の一も伝わらないでしょう。純情な感情は空回りです。祖父は、人に怒るのが嫌いだったのかもしれません。あるいは、苦手だったのかもしれません。居ない人について書こうとすると、どうもこのような推定文体になります。答え合わせができないからです。
祖父の人生をあまり僕は知りません。せいぜいが、トラックの運転手だったこと、家が貧しかったこと(母の証言による)、兄弟が多くいること(長男でした)、お酒も煙草もやらなかったこと、いとこだった祖母と結婚したこと、戦争はぎりぎり行かなかったこと、そのくらいです。このように書き連ねると多くのことを知っているように思われますが、祖父がそれらの出来事や人生の節々に何を感じていたのかを詳しく聞くことはついぞありませんでした。人が居なくなるというのは概してそういうことなのかもしれません。新聞記事や歴史教科書のように出来事や年表だけが留まり、当事者の想いや感じたこと、主観的側面だけがすっぽりと抜け落ちてしまう。
祖父が亡くなった後に、僕はほとんど何も聞いてこなかったんだと思いました。トラックの運転手だったことについて、家が貧しかったことについて、どんな風に考えていて、どんな選択をしてきたのか。なぜいつも朗らかで優しくいられるのか。大切な質問は沢山あったのに、鍵のかかった箱に入れられたまま、二度と手の届かない海底に沈んで行ってしまいました。引き上げるすべもなければ、鍵もとうに失くしてしまっています。
祖父が語った昔話のひとつが、とても印象に残っています。戦時中、学生だった祖父は軍の工場兼学校のような場所で生活していたそうです。規律は厳しく、朝から晩まですべきこと、すべきでないことが細かく指示されます。毎朝ラッパの音色で起こされるのが習わしでしたが、祖父はいつもラッパが鳴るより先に起きていたそうです。布団を被って、真っ暗な部屋で目を開けます。規律のひとつに、ラッパがなるまで起きてはいけないというものがあって、祖父は毎朝小一時間ほど、布団の中で天井を見ていたそうです。物音を立てず、ただ息を殺して静かに、天井を見つめていたそうです。ただそれだけの話なのですが、なんだか物悲しい話でもあるし、うざったい話でもあるし、不安な話でもあるし、笑い話でもあるのです。祖父は昔の面倒くさい話として笑いを誘う話し方をしていましたが、戦時中の日本で青年が朝の一時間をラッパを心待ちにしてじっと天井を見ている瞬間というのは、色々考えてしまうところがあります。
こうしてしたためた文章を公開すると、ネットにいつまでも残ります。そう考えると、個人が何を考えていたのかがよく分かるものが、ずっと形をもって存在することになります。僕があまり孫に自分のことを語らずに死んだとしても、孫がこのブログをみたら(それまでhatenaが残っていたら)じいちゃんが考えていたことが分かって面白いのではないかと思ったりします。いい時代ですね。でも「おじいちゃんがおじいちゃん子で、おじいちゃんのおじいちゃんのことを語っている」というのは隔世の感があって諸行無常です。おじいちゃんのおじいちゃんって、一体なにおじいちゃんだよ!と突っ込まれること請け合いです。